春の匂い

まだ古い家並みが残る商店街を、一升瓶を荷台に乗せて自転車をこいでいる若い娘がいた。
その娘の背上に、まだ雪をまとった稜線がくっきりと空を切り取っている大山(ダイセン)が見える。
山肌は、絶壁の岩が春の太陽に青く輝き、刻み込まれた残雪が白く光っている。
まだ、20、2・3過ぎぐらいだろうか。
娘は東京の大学を出てから、ここ故郷の酒屋を継ぐために戻ってきた。
東京で就職をすることは考えはしたが、四方をコンクリートで囲まれた場所で働き続けることには自信がもてなかった。
それに、故郷には娘の幼馴染がいた。
「ごめんください。お酒、置いておきます!」
ある旅館の調理場に、若い娘の声が響いた。
「ご苦労様!」
白い調理服を身につけた若い男が答えた。
男は、濡れた手を手ぬぐいで拭きながら、娘の顔を見た。
「祥(ショウ)ちゃん、よく漕ぐねえ。重たくはないかい?」
娘の嬉しそうな目を見れば、この若い男が娘の幼馴染に間違いなかろう。
「もう慣れましたから。それに、自動車に乗り出すと、きりが無いでしょう。
近くは出来るだけ、自分の足で行くことにしているの。」
「それにしても、坂道もあるのに。ずいぶん鍛えられた?」
「まあね。見て、このふくらはぎ。」
祥子(ショウコ)は、ジーンズから白いふくらはぎをだして、自慢げに若い男に見せた。
「すごいね。俺よりすげーや。」
「今日のお昼は何にするの?」
娘は若い男に「まかない」をたずねた。
「今日か。今日は刺身の残りの、あらの煮付け。食べていく?」
「りょうちゃんがよければ。」
男の名は、亮と言う。
祥子と亮の間には、変な気遣いも無ければ、男と女の気まずい間もなかった。
娘にとっては、それが歯がゆかったたが、亮が一人前の料理人になり旅館の跡取りになるほうが重要だった。
亮の父親は女癖が悪く、亮が中学の時に女と駆け落ちし、以来連絡が無い。
それからは、母親一人で従業員10人の旅館を支えている。
そんな事があってか、亮は中学高校と荒んだ学校生活を送った。
が、高校を出たあと、何処かの料亭で仕事を叩きこまれ、帰ってきた時にはすっかり角が取れ、好青年になっていた。
今は、板長の下で、料理の勉強に励み、女将からは営業を教え込まれる忙しい日々だった。
「お待たせ。」
亮は、磨きこまれたステンレスの調理台に、まず板長のものを先に、それから祥子の膳をだした。
「今日は、生姜を効かせて、煮汁を餡かけ風にしてみました。
あらは、骨が細いので、一旦揚げてそのまま食べられるようにしています。」
板長はうなずいて、まず一口、口にした。
亮よりも祥子のほうが真剣に板長の顔をのぞいている。
「いいんじゃないか。もう少し大胆に、生姜を効かせてもいいかもしれんな。
生姜が油をさっぱりと仕上げている。
まずまず。」
「ありがとうございます。」
亮はお辞儀をした後、自分の物を始めてよそい、食事を共にした。
「美味しかったわ。」
祥子は自転車を押しながら、亮に言った。
「まあね。ありがとう・・・・・まだまだだけど。」
調理場から、商店街の通りまで、亮は祥子を送って一緒に歩いていた。
亮は、何かを決めかねた様子だったが、祥子が自転車に乗った時
「今度、弁当作って見るからさ、食ってみてくれないか?」
と言った。
「いいわよ。じゃあ、今度の月曜日、亮のお弁当でピクニックね。」
「そうだな。」
「楽しみねぇ。どこにする?私が決めていい?」
「うん。」
「どこにしようかなぁ。決めたら連絡するね。じゃあ。」
幾分早口でそう言うと、祥子はペダルを自慢のふくらはぎで漕ぎだした。
亮も
「じゃあ。」
と、片手を挙げて答えた。
祥子の漕ぐ自転車は、すぐに春の新芽の匂いに包まれた。

恋の始まりっぽいものが
上手に書けたら楽しいでしょうねえ。
と、書いては見ましたが、どうでしょう?
まだまだですか・・・・・。
さて、以下は
「楽天で、まさか、魚の煮付けは売っていないよなー?」
と思って検索してみたら、
意外にも良く売れているようで、
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シンジン蕎麦

蕎麦屋に行って蕎麦を食べる。
当然、誰もが出来ることだが、なかなかに美味い蕎麦には当たらない。
東京は神田の藪蕎麦が日本全国あるわけもなし。
田舎は田舎の蕎麦を食べるしかない。
そう思って、車を西に向けて走らせていると、そう言えば、ここらは蕎麦所だった事に気がついた。
気に留まった看板を頼りに、わき道にそれ、川べりの道を山の方へ数分走るとその店はあった。
口が既に蕎麦口だ。
暖簾をくぐり、店の引き戸を開けて中に入ると、既に先客が大勢いた。
先客の手元を見ると、赤く丸い茶碗ぐらいの大きさの、そんなに底が深くない漆器を3段に重ねた上に蕎麦が盛ってあり、それを箸でつまんで食べている。
どうやら、土地の蕎麦らしい。
席に座ると蕎麦湯が出てきた。水でない所が良いではないか。
「決まったら呼んでください。」
こちらの顔を見もせず、引上げていく。
「お姉さん。2枚追加。」
奥から叫ぶ声がする。
メニューを見ると、シンジン蕎麦と釜揚げ蕎麦、てんぷら・・・・などなどと続いている。
手を上げ、お姉さんを呼んで
「初めて来たんだけど、どれを食べたらいいかな?」
「シンジン蕎麦」
「じゃあお願いします。」
「シン 一つ!」
と言うわけで、私は蕎麦湯を飲みながらしばし待つ事になった。
周りを見れば、なかなか繁盛している店らしく、席は8割がた埋まっている。
店の人も休むまもなく立ち働いている。
程なく、そのシンジン蕎麦なるものが私の席に登場した。
三段重ねた赤い漆器の上に、薄い漆器の皿で蓋がしてあり、それに薬味が数種類盛りわけられている。
蕎麦は、東京のそれとは違い、黒い粒がん混じっている挽きぐるみの蕎麦だ。
上から一段目をとってみると、二段目にもそばが盛られている。
三段合わせてちょうどの量といった塩梅だ。
めんつゆは、徳利みたいなものに入ってあり、それを碗(一段目)にかけて、薬味をちょいと落としてずるっとすすって一噛みする。
腰のある硬めの歯ごたえのあるもので、鼻に蕎麦の香りがすーと抜け、舌に味が広がる。
喉越しもよい。
上から一段目を食べ終わり二段目に行く。さっきと少しばかり薬味を変えてみる。
これもまた美味い。三回、四回とすすりこめば無くなるので、あっという間に三段目、最後になってしまった。
足りるのだろうか?と思い、腹の周りをなでてみる。まだまだ入りそうだ。
それに、こんな田舎にこれほどの蕎麦屋があるとは!と思い、店の名前を探してみた。
箸袋に書いてあるはずだが、と見れば、文字か文字に似せたデザインか、よく読めない。
まあ、帰り際に見ればいいかと思い、
「お姉さん、2枚追加。」
と、脇を通るさっきのお姉さんに言った。
「追加2枚!」
残る三段目をかきこめば、追加の二枚がテーブルに置かれた。
ふと、思って胸に手を当てると、いつもあるはずのふくらみ、財布がない事に気がついた。
あわてて尻のポケットに手をやると、ほっとため息が漏れた。
さっき客先で、上着を脱いだ時に、尻のポケットに入れておいたのだった。
安心したら俄然蕎麦に集中し、あっという間に二枚を腹のなかに収めた。
ああ、これっきり食えなくなるのかと思うと、もう二枚食べておきたくなり
「お姉さん、もう二枚追加。」
と言った。
「お客さん、好きですねえ。」
お姉さんが、あきれた顔で私を見た。
しばらくすると、追加のシンジンと、蕎麦湯が出てきた。
改めて蕎麦湯をすすると、ちょっとしょっぱい、とろんとした濃厚な湯で、シンジン蕎麦とは違った美味さが濃縮されている。
蕎麦も、早速かきこむ。
食べ終わると、かなり満腹になっていた。
「お客さん、奥で休んでいかれ。」
お姉さんは、店の奥の方を指差してそう言った。
車で時間を潰すより、横になって一眠りできればと思い、勘定をすませて、店の奥のふすまを開けた。
ここにも数人の蕎麦好き達が満足げに横になり、新聞を読んだり、TVを見たりしてリラックスしている。
私は部屋の隅に、座布団を枕に横になり、うとうととまどろんだ。
午後の仕事を思うと、昼下がりの幸せなひと時だった。
冷たい感覚に目が覚めると、お姉さんが私の体にジョロで水をかけている。
「ちょっと!お姉さん!」
「もう芽が出てきたわねえ。たっぷり食べたから養分も充分だし。」
と言われ自分の体を見ようとすると、起き上がれない。
まるで砂風呂にでも浸かったみたいに、首から下を埋められて、腹の上辺りには緑の双葉がびっしりと生えている。
「勘定は払った。出してくれ!」
「お客さん。看板見たでしょう。(新蕎麦自社栽培の店。蕎麦は食っても食われるな)って。お客さんは蕎麦に食われちまったんで
しょうがなく、家で世話をすることにしてるのさ。あのままだったら、あんた発狂してるよ。突然腹から蕎麦が生えたら。
一週間もすれば収穫できるから、まあTVでも見てのんびりして。」
「ちょっと待ってくれ、突然こんな事に。これは!」
見ている間にも、双葉はぐんぐん成長し、早回しの観察ビデを見ているようだった。
「理由は定かでないんだけど、・・・・・」
とお姉さんはポツリポツリと私を諭すように話した。
昔、二代前の店主が、手の甲に生える蕎麦を発見したのが初めらしい。
興味本位で育てて収穫し、蕎麦を打ってみると滅法美味い。
これは! というので栽培を始めた。しかし苗床が不足して増産できないジレンマに陥り悩んだ末に、
客に苗床になってもらう方法を思いついた。
種は挽きぐるみの蕎麦なので簡単に仕込める。但し、胃酸でやられるので大量に食べてもらう必要がある。
蕎麦湯も肥料代わりに大量に飲まないとうまく発芽しない。
で、ますます蕎麦打ちに磨きがかかり、美味くなって客も増える。そうすると苗床にも苦労しなくなり、今のサイクルが完成したという訳だ。
「客は怒らないのか?」
「まあ、中には怒る客も居るけれど、人間諦めざるを得ない状況で、手も足も出せないとなったら、自然と適応しようとするのが自衛本能らしく、無事収穫、何事も無かったように帰って行きますよ。」
と、お姉さんはジョロに残ったしずくを私の腹の上で切り、
「じゃあまた後で」
と振り向きもせず、忙しそうに去っていった。

「パンの耳の逆襲」にちょっと満足できなかったので
「シンジン蕎麦」を急遽書いてみました。
安部公房が強いものになってしまいましたが、まあ習作ということで。
因みに、下の商品はこのお話とは全く関係がありません。
こんな話を読んだら蕎麦が嫌いになるかも?
筆者は大好きなんだけど。

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パンの耳の逆襲

ある町のパン屋さんでは、毎日たくさんのパンが焼かれていた。
この日も朝早くから、パン職人が生地を整形し、次から次へ釜へ放り込んでいた。
そして、次から次へと、多くのパンが焼きあがり、店内の棚に綺麗に並んでいく。
そんな中で、食パンだけが焼きあがっても直ぐには切れないので、しばらく店の奥の棚で熱を冷まされていた。
「お前はいつも遅いなあ。」
アンパンが食パンをいつものようにいびった。
「どうせ食われちまうんだから、遅くたって構わない!」
「いや、お前の耳だけは食われないのだぜ。」
と、穀物パンが言った。
「食パンカッターの横に積み上げられて、(犬のえさにくださいな)って客に言われてもらわれていくんだ。」
「ザマーネーナ」
フランスパンが、パリパリとはやし立てた。
食パンはうんともすんとも言えず、いつものように黙ってしまった。
そして、2時間後。
食パンは店員に5枚切り、6枚切り、サンドイッチ用と切られていき、ビニールの袋に綺麗に包まれていく。
耳は、穀物パンの言ったように無造作に積み上げられていった。
お昼時、近くの工場の工員たちが次々とパンを買っていく。
「あばよ!」
とみなぞれぞれ、湯気を出して去っていった。
昼過ぎに近所の主婦がやってきて、食パンを買っていく。ついでに
「犬のえさにパンの耳をくださいな。」
といわれ、パンの耳は無造作にナイロン袋の中に入れられて、くるくるっと口を縛られ、アンパン連中と同じ袋に入れられた。
「ケガラワシイ!」
「寄るな!犬のえさ!」
パン達に散々コケにされ、返す言葉も無くパンの耳はうなだれた。
台所に置かれたパンたちは、今か次かと食われるのを待ちわびた。
3時ごろ、ゴゾカサと、袋が開けられ、主婦が覗いた。
「俺を食え!」
「いや、おれだ!」
パンたちは一斉に叫んだ。パンの耳だけはうなだれ曲がった状態だ。
と、主婦が取り出したのはパンの耳だった。
「犬のおやつか。」
パンたちは深いため息をして、またごろんと横になった。
主婦は、と言えば、トースターを出し、曲がったパンの耳をパンと真っ直ぐに直し、マヨネーズをうねっと伸ばしてタイマーを5分にセットした。
「おい!おい!犬に食わせるんじゃなかったのかよ!」
アンパンが叫んだが、その声は主婦には届かない。
ジジジ・・・とトースターのタイマーが回り続けてチンとなった時、
「どうして売れないのかしら、一番美味しいのにねえ」
と香ばしく焼けたパンの耳を手に持ち、かぶりついた。
「ザマーネーナ!」
パンの耳は、アンパン達と、そしてかぶりついた主婦に叫んだ。

今回はちょっと駄目ですね。
ブンガクのエッセンスがゼロ。うーん難しい。
笑えたら良しとしてください。

”100%をゆうに超える満足度”「日本一美味しいパン屋」受賞!副素材一切なし。これぞ真の食パ…

少年とバイオリン

煙突から白い煙が見える、モンマルトルのアパートの一部屋で、譜面を前に少年がバイオリンの練習をしている。
少年の前には、先生らしき中年の紳士が厳しい表情で、耳に音を傾けている。
「そこ!もう一度!」
少年は、急いでバイオリンの弓を弾きなおす。
「違う!もっとゆっくり。」
先生は、自ら弾いて聞かせる。
先生の弾くバイオリンの音は荘厳で、音に伸びがあった。そして静かに消えていく。
バイオリンの音は静かな森の音に似ている。
存在することに、何の不思議もなく、太古の昔からそこにあった空気の震え。
それらが、霧のごとく流れるように、音を作っていく。
少年は、その魅力に引かれてバイオリンを始めた。
しかし、最初は製材所のノコギリの様な騒音でしかなかった。
この先生に教えてもらい始めて、やっと、森の音に近づけた気がした。
少年はもう一度、あごでバイオリンを押さえ、指に神経を使いバイオリンの弓を弾く。
静かに、先生はうなづき、少年は続けた。
やがて今日のレッスンが終わり、先生は帰っていく。
少年は、母親の作ったランチを食べて再び、一人でバイオリンを弾き始めた。
少年は目を閉じ、音に集中しながら、慎重に弓を弾いた。
すると、何処からか飛んできたてんとう虫が一匹、バイオリンのf字孔のなかにすっぽっと入ってしまった。
そして、もう一度と・・・弾き続けた所、急に綺麗な音が出るようになった。
少年は何かコツを掴んだのだと思い、嬉しくなって母親に聞かせに台所へ行った。
「すばらしい!」
母親は息子を抱き寄せた。
それから少年は数々のコンクールで優勝し、やがて青年になり、誰もが認めるコンサート・マスターになった。
その間、バイオリンは次々と変わったが、あのてんとう虫が入れ替わったのかは分からない。
青年は今日もコンサート会場の万雷の拍手を背に一日を終えた。
ホテルの部屋に戻り、ワインを飲んでくつろいでいると、青年のバイオリンから一匹のてんとう虫が這い出してきた。
青年は気づく気配もなく、快い疲れのなか、ソファーで寝てしまっていた。
てんとう虫は、磨かれたバイオリンの表面をするりとすべり落ちると、ふっと羽根を広げて飛び立った。
ホテルの部屋をしばらく飛び交ったあと、カーテンのゆれる窓へ飛んで行き、夜のパリへと消えていった。
次の日、青年はコンサートの練習でその異変に気がついた。
音につやがなく、何かが足りない。バイオリンを取り違えたのかと思ってみたが、青年のバイオリンだった。
指揮者は、眼鏡の奥から青年を怪訝な目で見ていた。
青年は調子が出ないと言い、今日の練習を早々に止めてホテルに帰った。
そして、ホテルの部屋で、まるで悪夢でも見ているように、顔は青ざめ、何度もバイオリンを震える手で弾いてみるのだった。
「違う・・・・・」
青年は、頭を抱え、ソファーへ体を沈めた。
開け放たれた窓から、春の夜の生ぬるい風が入ってきた。そして、その風に乗って、一匹のてんとう虫が入ってきた。
青年はかすかな羽音に気づき、顔を上げた。
その方向へ目をやると、そのてんとう虫は青年のバイオリンのf字孔の中へすっぽりと飛びこんだ。
青年はあわてて、バイオリンを手にして振ってみたが、コトリと音もせず、中にてんとう虫の気配もなかった。
「どこかにへばりついているのか?」
と思ったが、壊すわけにもいかず、青年は試しにバイオリンを弾いてみた。
すると、今までの不調が嘘のように、音はつややかに流れ、部屋の空気を森に変えた。
青年は、あごからバイオリンを外し、不思議な物でも見るようにバイオリンもう一度見た。
そして、初めてこの音を弾いた日の、母親が作ったランチを思い出していた。

楽器のショップ・オブ・ザ・イヤー2008!
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「タカムラ」さんは
ショップ・オブ・ザ・イヤー
ワインジャンル賞6年連続受賞!!
のGood!なワインショップです。

キャンティ・クラシコ[2001]ポッジョ・ピアーノ(赤ワイン)

骨抜き温泉

冬になると雪に閉ざされる峠道、その途中に一軒の茶店があった。
峠越えをする人は、この茶店で一息つけて、ついでに山道の様子を聞いておくのが習いだった。
盗賊も出れば、得体の知れないものもでる昔である。
してはいけないことなども、初めての峠越えをするものは耳をそばだてて不安げに聞いたものだ。
さて、その茶店の中を覗くと、身なりが良くて小奇麗で、
お金持ちそうな若旦那が手代らしきものと一緒に茶を飲んでいる。
「佐吉、もうすぐ峠を越えて国へ帰れるんだね。私はうれしいねえ。」
「へい、だんな様。私も田舎暮らしにもう飽き飽きしました。はやいとこ、この峠を越えて、どこぞの温泉でも
すぽんと入って芸者さんでも呼んで、田舎の垢を落としたい。」
この佐吉と呼ばれた手代の歳は四十前後だろうか。
世間の裏表もようやく分かって、商売人なら、暖簾の一つや二つ分けてもらえる時分である。
なのに、若旦那の子守と言うのだから、そこは知れている。
さて、若旦那と言えば、鼻筋の通った、目鼻の涼しい、二十五・六と言うところか。
さっきから、茶屋の娘が顔を赤くして、困っているところを見ると、なかなか隅に置けない、垢抜けたした御仁と見える。
そういえば、若旦那がしばらく謹慎してた町は、昔から、放蕩息子が親父に勘当手前で勘弁されて、島流しならぬ鄙流しに送られる、
山間の小京都でもあった。おそらく、この手代と若旦那、その手の鄙流しの年季明け、とでも言うところだろうか。
若旦那はチラリと娘に流し目をくれてやり、懐から銭を出して置くと
「ご馳走!」
と、手代の佐吉をほっておいて、先に歩き出した。
これから日が暮れるが、佐吉が言った温泉に上がりこんで垢でも落とすのがいいと決めたみたいだ。
「だんな。待っておくんなまし!」
佐吉が、後をけつまずきながらかけていく。
それから四半時。
だいぶ道も暗くなってきた。
「佐吉、温泉は未だかいな?ずいぶん歩いた気がするが、もう日が暮れて後は暗くなるばかり。道でも違えたのじゃないかしら?」
不安げに若旦那は尋ねた。
「いや、これでよござんす。ええ、間違いはないはずですが・・・・・」
言う端から峠道の不気味さが、佐吉の背筋をそっと冷たくする。
何処からともなく梟の声がする。
そうこうするうち、二人の眼に、暗いが確かな黄色い明かりが留まった。
「・・・若旦那、もうすぐですぜ。芸者が三つ指ついてまっていらあ。」
佐吉は、若旦那を後にして小走りに駆け出した。若旦那もそれに遅れず駆け出した。
ついてみると、どんぴしゃ、温泉だ。
「一番いい部屋へ。それからいいのを二三人。」
佐吉が、若旦那に聞くまもなく、宿の女将らしき女へ告げる。若旦那は、下女に足を洗ってもらっているところだ。
「さて・・・・・・」
畳の上で足腰を伸ばした若旦那が、手ぬぐい片手に
「先に浴びてくらあ。」
「へい。番してます。」
手代を残して、露天へと向かった。
ここらへんの湯は白濁で、ぷんと硫黄の匂いがする。
湯船は湯気で先は見えず
「お邪魔しますよ。」
と若旦那の声が湯に溶けた。
「ああ・・・・・・」
思わず声が漏れるほど、いい湯だった。
すっかり暗くなり、蝋燭の火がぼんやり四方を浮かび照らしている。久しぶりに開放された実感が、若旦那のこころをほぐした。
実際、田舎では、お目付けの手代はともかく、親父の息がかかったなじみの顔が多く、退屈なのに窮屈で、することがない日々だった。
芸者でも呼べばすぐに本当の勘当が待っていた。
やっと手足が伸ばせた。
若旦那は、湯をてですくい、ざぶっと顔を洗った。
「ごめんください。」
ちゃぷんと言う音と共に、女の声がした。
どうやら混浴らしい。と言っても、昔は混浴が当たり前で、男女別々の方が不思議だったのだから世の中は分からない。
すうっと風が吹き、若旦那は、自然と女の方を見た。
胸が苦しくなるほどの美形だ。
目が合った女は軽く会釈をして、向こうを向いた。
「何処からですか・・・・・」
若旦那は、そつなく話しかける。
「ええ、・・・からで・・・・・・・」
女は答えるが、尻が聞こえなかった。
それきり、聞きなおすわけにもいかず、若旦那はいくぶんのぼせて風呂を上がった。
「旦那、長うござんしたね。」
佐吉がたずねたが、
「ああ・・・」
としか、若旦那は言わなかった。
「さて、私ももらってきます。酒はすぐに運ばせますので、お先にどうぞ。」
そういい残して、佐吉は出て行った。
いい女だったなあ・・・若旦那はぼうっと天井を見上げて思った。えらく早くに出会いがあったものだ。
そうこうしているうちに障子が開き、酒が運ばれ、芸者も来た。
若旦那は、慣れた様子で、芸者集と盛り上がり、そのうち佐吉も加わり、宴たけなわとなった頃、ふとまたあの女の顔を若旦那は思い出した。
もう一度見てみておきたい・・・・・田舎の鶴と洒落込んで・・・・の思いがだんだん強くなって、
「佐吉、悪いがお開きにして、俺はもう一度、ここの風呂へ入ってくる。」
そう言って若旦那は、さっきの風呂へ手ぬぐいを肩にかけてふらふらと千鳥足で、歩いていった。
風呂に女が居るわけはないのだが、分かっていながら足が向かう。
野暮天か・・・・・と若旦那は一人つぶやいて服を脱いだ。
それから四半時、佐吉も騒ぐのに疲れて周りを見ると未だ若旦那が居ない。
番頭を呼んで、風呂に行って帰ってこないというと、番頭は顔色を変えて露天へ走っていった。
それからまもなく、若旦那は骨抜きとなって発見された。
服を脱いだ後、若旦那は
「ごめんよ。」
と湯船へ入っていった。
女が居るわけでもなし、他にも人は居ない様子。
ふーっと酒臭い息が漏れる。
すると、後ろで湯が鳴って、振り返るとあの女であった。
「あっ・・・・」
と思わず声を上げたが、それからは若旦那の手練手管で、女の口を吸うのに時間は要らなかった。
だが、若旦那が口を吸ったと思った時に、体の中から何かが抜ける心持がし、急いで口を離したがもう遅かった。
若旦那の体の骨はあらかた女に吸い取られ、吸い取った女は美味しそうに舌で唇をなめ、お代わりを求めてきた。
それを若旦那は、残った力でようやく振り払い、やっとのことで洗い場までたどり着き、気を失った。
湯の中では浮かぶので良いが、陸にあがれば皮一枚。気を失うのも当然だった。
「どうしよう・・・・・」
佐吉は酔いも冷め、番頭に泣きついた。
番頭は、困ったものだと佐吉に言ってから、小僧に雨戸を持ってこさせ、変わり果てた若旦那をごろんと乗せて部屋まで運んだ。
部屋に戻ると再び佐吉が、
「どうしよう・・・・」
と、こちらは肝を抜かれた様子で、番頭に泣きついた。
番頭は慣れた様子で、佐吉に言った。
「峠の茶店で聞いてなかったと見えますな。
今宵は骨抜き女が一年に一度、骨を吸いに温泉に来る日なんです。
その女はえらく美人で、私も見たことはありますが・・・・・たぶんあの女だと思うんですが・・・・そりゃあもう・・・・
吸われた人は、この世と思われぬ、えもいわれぬ心持がして、願わくばもう一度あの女に吸って欲しいと思うそうですが、
確かにあんな美女に・・・・と思うと・・・・・・
まあ、それはおいて置いて、その女、酒のしみた骨がこの上なく好きと来ている。
だから、今日は気をつけなくちゃいけない日だったんです。
入り口にも書いてあったでしょう。「酒を飲んで風呂へ入るべからず」って。
まあ、一週間もすれば、骨は元に戻りますから、ごゆっくり御逗留なさって、骨を作ってください。」
そう言い残して部屋を後にした。
それを聞くと、佐吉は残っていた酒を口に流しこみ、急いで風呂へ走っていった。

小説と下記温泉宿は全く関係ありませんので。
因みに、「楽天トラベルアワード2007 中四国地区 プレミアム部門 お客様の声大賞」受賞のGoodなお宿です。

長門湯本温泉 大谷山荘

生霊(いきりょう)

アパートの玄関に隠れ、私はただ立って、昔の夫が暮らす新築の家を見た。
若い女は、夫の子を生んだ。
誰一人生まなかった私は捨てられたのか?
夫の仕事は順調らしく、車が新しく大きくなっていた。若い女の車も大きな車で、後席にはチャイルドシートが備え付けられている。
玄関には若い女の趣味らしく、ディズニーのキャラクターの鉢が数個あり、その前に黄色い子供のプラスチック製スコップが転がっている。
傘立てに数本の傘があり、その上に緑の縄跳びが無造作にかけられている。家の中はぐちゃぐちゃに違いない。
「何をしにここへ来て立っているか?」
自分に聞いても答えは返ってこなかった。
「どうされたんですか?」
と、アパートの住人が私に尋ねる。誰が見ても不審なおばさんにしか見えないだろう。
化粧っけもなく、平日の昼間に、玄関の影から様子を伺っている私なのだ。
「いえ、別に。」
「そうですか?」
と通り過ぎてもらう。
新築の庭にはブランコがあり、その下には子供の靴が片方転がっている。
どうも、だらしのない女らしい。
ベランダには、子供の服と一緒に昔の夫の服が風に揺れている。
女の服も混ざっていた。
これが現実なのか?と思ったが、それ以上のことも思い浮かばなく、感情も動かない。
夫の服は、きっとくちゃくちゃになって、箪笥に押し込められているのだろう。たぶん。
料理はきちんとしているのだろうか?
心配などしなくて良いのにそう思った。
玄関が開き、若い女の影から、子供が出てくる。
もう4歳ごろか。夫の面影がうかがえる顔立ちで、若い女を見上げている。
若い女はふちの広い帽子をかぶり、今風の、若い婦人向け雑誌に載っているようなジーンズをはいた格好で。
どうでも良いのに、女の欠点ばかりを探しているような気がしてくる。その通りかもしれない。
女と子供は近所へ買い物へ行くらしく、スーパーのほうへ歩いていった。
私は鍵のかけられた玄関をただ見ている。
まだ、足は動きそうになかった。
何を見たいのか、どうして見たいのか、自分でも分からなかった。
ただ今日、車に乗ってここの近くのスーパーへ車を止め、そして隠れて見ている。それだけだった。
なおも、夫の家を見ていると次第に私の周りの空間が狭くなってきたような気がした。
世界が、近所のスーパーと、夫の新築の家と、その向かいの私が隠れているアパートの玄関だけになってきたような感覚を感じた。
どこかで仕事をしている夫。スーパーで買い物をしている女。その周りでじゃれている子供。隠れている私。
世界の中で四人だけしか居ないような感覚が迫ってきて、私の背中を何かがそっと押した。
私は玄関の前に立った。そして、何をしようというのでもなく私は玄関の中へ入った。
鍵はかかっていたが、私の足はすっと玄関の中へ入り体は遅れて通り抜ける事ができたた。
家の中に入ると女と子供の匂いが鼻についた。案の定、物があるべき所には無く、スリッパの中に子供のゴムボールが入り込んでいる。
家の中を一通り見て、最後に冷蔵庫を開けて見ていると、玄関の鍵が開く音がした。私はあわてて冷蔵庫を閉め、勝手口から急いで外へ出た。
気がつくと、私は車の運転席に座っていた。息が弾んでいた。
もう少しで見つかるところだった、と思ったが、勝手口から外へ出る際にもドアを通り抜けた事を思えば私は私の作った空間の主になれたような気がした。
あの空間が狭くなる感覚、その中では私は誰にも見られず、誰を気にする必要も無く何でも見ることが出来るようだった。
次があるだろうか?そう思ったが分からなかった。
私は、エンジンをかけ、車を発進させた。

望遠鏡の女

男は、カーテンの隙間から入ってくる光に惹かれて窓辺に行った。
カーテンを開けると、無垢な太陽光が男の顔をくっきりと照らし出した。
男の目の中には、向かいのマンションの部屋の窓が小さく映っていた。その中に女の動く姿があった。
別に見ようと思って見た訳ではなく、自然と目に入ったのだと男は自分に言い訳をしたが、じっと見る目を閉じることはしなかった。
窓を開けると、夏の朝の澄んだ空気が部屋のよどんだ空気を正常に戻し、男は顔を洗いに行った。
男は会社からの帰り道、ショウウィンドウの望遠鏡に間が止まった。
別にいいじゃないかと一人つぶやいた。それがどっちの意味だったのか、男自身にも分からなかった。
買って帰ると、服の着替えもしないで、早速窓の外へ望遠鏡を向けてみた。
いろんな窓辺が見えた。
そのほとんどが、取り込まれていない洗濯物、ミニ菜園、締め切られたカーテンからもれる明かりだった。
男はほっとして、望遠鏡を空へ向けてみた。
星など見えるわけも無く、月がちょっぴり大きく見えるだけだった。
倍率が小さいので、クレータもどことなく不満足な見え方だった。
それから、望遠鏡は男から忘れ去られ、一週間もすればネクタイが数本かけられていた。
いつものように男は、カーテンを開けた。そしていつものように外を見た。カーテンの開いた部屋が男の目に留まった。
女がこっちに向かって何か手招きしているような、そんな感じだった。
男は、洗濯物をゴソット落として、望遠鏡を向けた。
ぼやけたピントを合わせると女の声が聞こえた。
「何してるの?」
「イヤ別に。」
男は答えた。
「前にも一度、見ていたでしょう?」
「まあ、そうだけど、別に見たんじゃなくて見えたわけで。」
男と女はしばらく話たあと
「今度食事でもしない?」
と女が誘ってきた。
男は困るわけでもなし、「うん」とうなずいた。
女は、「明日の夜に」と言ってカーテンを閉めた。
男はそれから毎晩、望遠鏡越しに女と話をし、女と食事をした。女が用意した食事を望遠鏡を見ながら箸でつまんで口に入れた。
男は、望遠鏡越しに女の居間に座っていた。
なかなか料理が上手なようで、男は美味しくいただいた。料理を褒めると女は、喜んでくれた。そして次の日にはもっとたくさんの品数を用意してれた。
男が料理を残すと女は悲しんだ。男は、朝昼を食べなくなり、女の所で夜だけ食べるようにした。
男もその方が栄養のバランスが取れる食事が出来るので助かった。
そのうち、男は望遠鏡越しに女の部屋に泊まるようになった。そして朝になったら、自分の部屋に戻り会社へ出勤した。
「最近急に痩せましたね。」
男は同僚に言われ、そういえばと自分自身を見てみた。栄養のバランスが取れているのと、精神的にも満たされているからだと思った。
一週間が経つころには、男は女との結婚を考えるようになり、望遠鏡に右目を当てて男は女に言った。
「結婚しようよ。」
「いいわよ。」
と望遠鏡の中の女は答えた。
男が会社に出てこなくなって二週間が過ぎ、警察が男の部屋を調べたところ、部屋には望遠鏡があるだけだった。

宇宙人との会話

「私は、その計画に賛成だ。」
大統領が言った。
「ええ、私が計画に賛成します。」
と宇宙人が言った。
「さっきは、反対と言っていたが?何か考え方が変わったのかな?」
大統領は怪訝そうな顔を向けた。
「いえ、さっきから私は賛成していたはずですが。」
宇宙人は、少々怯えて困った様子で、テーブルの上の紙に鉛筆でいたずら書きを始めた。
「いや、確かに貴殿は、火星資源の採掘には反対すると言っておった。
それは、絶対確かなことである。
書記官、そうだろう。」
「はい、大統領。確かであります。」
「では、なぜ賛成なのか意見を伺いたい。」
大統領は、宇宙人に噛んで含めるようにゆっくりと聞いた。
「ええ、だから賛成なんです。これ以上答えようがありません。私が反対だったと言われますが、それはあなた、大統領の勘違いです。いや、私の勘違いです。断じて間違いありません。」
「これは困った。勘違いと言われても、記録にきちんと残っているのだから、貴殿が訂正しなければ、話が終らなくなってしまう。
 ご存知のように、私の言葉は全て公式に記録され保管されています。今までも、そしてこれからもずっと。
 ですので、正確かつ論理的にと言ってもよいのですが・・・・・いやいや、普通誰もが聞いて納得できる会話の内容での双方の合意でなければ賛成という合意が出たとしても結論とはならないのです。わかりますか?」
大統領は子供に諭すように宇宙人に言った。
「賛成と言うのがいけないのなら、反対だ。貴方、大統領は私に何を言わしたいのですか?
私が何も論理的に考えられない馬鹿だと言うのですか?」
宇宙人の手悪さで、紙は埋め尽くされ、鉛筆は芯がちびてしまっていた。
それでも、宇宙人は、執拗に紙に鉛筆をこすりつけた。
「いえ、いえ、違います。話がごちゃごちゃになってきましたね。
 ひとまず元に戻して、火星の資源採掘には反対ですか?賛成ですか?
 もう一度伺いましょう。」
「反対です。」
宇宙人は言った。
「反対ですか?先ほどは賛成とおっしゃいましたが?」
「私は反対だと言っている。今までも、これからもずっと反対だ。」
「どうも、おかしいですな。さっきは賛成とおっしゃった。今度は反対という。それでも賛成とは言っていないと言う。国防長官、どうするべきなのかね?」
大統領は、困った顔を向けた。
宇宙人は、すでに破けた紙も気にかけず、白い大理石の机を直に鉛筆でこすりつけていた。
「困りましたな大統領。」
「ああ、困った。翻訳機はちゃんと動いているのか?」
「はい。壊れてはいません。」
同時通訳が答えた。大統領の側近達ももう一度確認した。
宇宙人の握っている鉛筆が、ボキッツと折れた。
「あ、ごめんなさい。机を汚してしまいました。」
宇宙人は申し訳なさそうに言った。
大統領は、しばらく宇宙人をじっと見たあと、
「もう一度聞きます。火星の資源採掘には反対ですか?賛成ですか?」
「賛成です。さっきからもこれからもずっと賛成です。」
宇宙人は、はっきりとそしてきっぱりと言った。
「壊れていないよな、翻訳機。」
大統領はもう一度確認し、かつ尋ねた。
「さっきは反対だと言って、今は賛成だと言う。理由は何なのですか?」
「ええ、だから賛成なんです。これ以上答えようがありません。私が反対だったと言われますが、それはあなた、大統領の勘違いです。いや、私の勘違いです。断じて間違いありません。」
「よろしい!」
大統領は決断を下し
「国防長官。この宇宙人を連行しろ。可哀そうだが仕方がない。この宇宙人とは会話ができないからな。
彼等の会話は言葉遊びに過ぎん。また、意思がまったく無い。と言うことは聞いてもしょうがないと言うことだ。
適切に保護する以外に方法が無かろう。」
と言った。
 国民は大統領の決断を支持した。
 宇宙人は?と言うと、適度に保護された環境で、地球人と接触を持たないように生活させると不思議と落ち着きを取り戻した。
しかし、地球人と話すと途端手をぶるぶる震わせて言うのだった。
「私達は地球人に強制的に隔離されている。これは人権問題である。私達は地球人との会話を望んでいる。」
と。
 しかしながら、どんなに温厚な心理学者が話をしても、また忍耐強い言語学者が話しても彼等宇宙人との会話は成立しなかった。
 ただ、お互いがお互いを嫌うようになるのは間違いのない結果であった。

Vixen(ビクセン)天体望遠鏡R135S-SXW 13.5cmニュートン式反射望遠鏡

ホテル

ドアマンが扉を開くまでもなく電動ドアが勝手に開く。
綺麗に敷き詰められた絨毯。歩けば、靴が沈みこむ。
ここは日本でも有数の高級ホテル。
綺麗なフロントのお姉さんが「ご予約は?」と言う。
僕は名前を言う。
お姉さんはキーボードをカシャカシャと鳴らし、データを取り出す。
「二泊のご予定でお取りしてあります。ここにサインをお願いします。」
チェックインが終わり、小奇麗なベルボーイが荷物を持ってエレベータ、長い廊下、僕の部屋まで案内してくれる。
「何かございましたらフロントにおかけください。」
そつなく淀みなく、スマートに彼は去っていく。
さて、やっと落ち着ける。
ベットにあおむけに横たわり目を閉じる。外の喧騒がかすかに聞こえる。黙って息を殺す。問題はない。
しばらく両手両足の感覚を確認する。まだ大丈夫。まだいけるのか?自問する。答えは出そうにない。
風呂を入れて、入ることにした。
湯船につかると、体のこわばりが幾分溶けてくれる。
すべてがスローモーションのように、自分で自分の動きを眼で追っていく。
体の芯まで温まってきたころには、幾分気分も回復気味だ。
さっぱりとしたとは、このことかもしれない。
洗いたてのシャツに手を通すと、おなかが減ってきた。
僕は部屋の明かりを消して、外に出る。
長い廊下を通り、幾階もエレベータで通り過ぎ、フロントに鍵を預ける。
・・・・・・・・
ホテルをベースにし、ぶらぶらした2日を過ごし、チェックアウトに漕ぎつける。
支払いを現金で済まし、財布をしまう。
まだ幾分体の動きはぎこちないけれど、まだやれそうだと漠然と思う。
自動ドアから外へ出ると、固いアスファルトが靴の底で鳴った。
リーガロイヤルホテル メリッサ

帰ってこなかった宇宙人

「もしもし!」
「もしもし!」
叫んでも答えは帰ってこなかった。
「これで俺たちだけになったのか・・・」
ヒューム船長はそうつぶやいた。
 そうつぶやいた10ヶ月と10日前、人類の長年の探索と呼びかけが実を結び、
地球外生物からコンタクトがあり、人類は初めて他者といえる知的生命体と接触した。
 その接し方については、秘密裏に常任理事国の10カ国で
「ある程度は距離を置き、紳士的にすべきであり、また、決してこちらの弱みを見せるべきではない!」
と全会一致で合意に達していた。
 接待役に決まったアメリカではマンハッタン沖のエリス島に宇宙船を停泊してもらった。そして盛大な歓迎パレードがニューヨークを行進した。
 宇宙人はリッツホテルのスイートに泊まり、精力的にニューヨークの視察をこなした。
 病院に行けば、数々の難病を意図も簡単に治療し、大統領主催の歓迎晩餐会歓では
「ほんのささやかなプレゼント・・・・」
として地球の温度を意図も簡単に2度下げてくれた。
 この地球的な貢献に、全人類はこの日を全人類の祝日とし、記念した。
 
 フランスでは、宇宙船はエッフェル塔の展望台に横付けで停泊した。
 マキシムを筆頭に連日連夜の三ツ星フレンチにさすがの宇宙人も驚嘆した。その調理方法を教えてくれということで、滞在期間を1ヶ月延期したほどであった。
 フランスの大統領は、子供たちからの素朴な質問を宇宙人にぶつけてくれた。
 「本当に宇宙人はいるのですか?」とか「牛とか馬とかを勝手にさらっているのですか?」「UFOって本当に円盤型なの?」「ピラミッドは貴方が作ったの?」とか。
 宇宙人はそれらに疑問を差し挟む余地がないほど丁寧に答えてくれた。フランス大統領は我を忘れて聞き入った。
 ちなみに宇宙人も「モナリザ」がすばらしい!と絶賛した。フランス国民はいたく友好ムードになった。
 そのころになると常任理事国の秘密裏の約束はなかったの様に忘れ去られた。
 イギリス、イタリア、ドイツ、ロシア、インド、中国、日本等などの国々をゆっくりと歴訪した宇宙人は全人類から、名誉地球人一号の栄誉を送られるにいたった。
 そんな、ムードの中である一人の宇宙船の船長ヒュームだけが何か違和感を感じていた。彼は、宇宙人の随行の仕事を命じられ一番長く宇宙人と接した一人だった。
 その違和感を視聴率の悪いTVのインタビューで述べたところ、その視聴率は一瞬にして上がり、ヒューム船長への抗議は一瞬にしてアメリカ大統領の耳に入り、ヒューム船長はインタビューが放映されてから1時間という異例の速さで、「偏見に満ちている!」という理由で月基地の倉庫番へ左遷された。
 ヒューム船長は月基地でも冷遇された。実際ヒューム船長の意見
「信用信頼すべきではない。」
は、宇宙人の実績からすると偏見でしかなかった。
「命の恩人に対してなんと言うことを!」
というメールを何万通も彼は受け取った。しかし、ヒューム船長は自分の意見を曲げることはなかった。
 宇宙人への何でも質問が再び行われ、ある子供が
「ヒューム船長をどう思いますか?」
と聴くと、宇宙人は
「彼はとてもよい人です。しかし、残念ながら私とはうまくやっていけそうにはありませんでした。今は月基地の倉庫番をされているそうですが、彼の船長としての腕前は一流です。たった一つの意見の相違で左遷されるのは良くないと思います。是非とも彼の能力を世界の人々の役に立ててあげてください。そうすることが彼の幸せであると思います。」
と答えた。それから一時間後、ヒューム船長は再び船長の役職に戻されていた。
 宇宙人が来てから10ヶ月が経過し、そろそろ宇宙人は一旦帰るという事になった。
盛大なパーティーが開かれ、宇宙人は地球人の大合唱で送られた。ヒューム船長は月の宇宙船ドックのモニターに映し出された映像をしばらく観ていたが、依然として宇宙人への信用は生まれなかった。理由を聞かれても答えようがないのだが、ただの感なのか、生理的なのかとにかく彼の中では怪しいままだった。
 宇宙人が去った後、異変はすぐに現れ始めた。地球の温度が3度、4度と急激に落ち始めたのだ。そのスピードは速く、その異変が報道された翌日には全球が真冬になっていた。
 物理学者は、宇宙人が急激に2度気温を落とした為に生じる一時的な異変であるとしたが、その翌日には地球の気温はマイナス10度にまでなった。
 南国の人達へは援助物資が運ばれ対策が採られたが、月から観る地球は海の半分が凍っており、取り返しのつかない事態になりつつあるのがわかった。
 月からは何の手も差し伸べようがない絶望感がヒューム船長ら月基地にいる人達を襲った。
 そししてあれから10月10日目、地球のあらゆる物が凍てつき果てた。地下5キロに作られたアメリカ大統領のシェルターにも冷気は入り込んだらしく月との交信が途絶えた。
「もしもし!」
ヒューム船長は月基地の皆が見守る中、再び叫んだ。