ふん

赤い鳥の糞が銀色の車のトランクの上に落ちていた。
この時期の餌が赤い木の実のせいだ。久しぶりに霜が降りて寒い。
匂いはない。鳥の糞は動物の糞のように強烈に四方に漂う悪臭を放たない。
鶯のものは美顔剤に使われたほどだから確かだろう。
フロントガラスに湯をかけて氷を溶かす。
残りの湯でふんを取ろうとしたけれど乾燥してへばりついたそれはちっとも流れない。
取れてないけれどもう行かなきゃいけない。「今とる事はない。」
 調子の上がらないエンジンを歯を食いしばって吹かして100メートル。
 白いテープの65400KMが目に入った。
 そういえばオイルを換える時期だ。ディーラーへ明日の朝行こうか。いつにしようか。もうちょっといいいかな。そんなことを考えて走っていると2番目の信号交差点が事故現場になっていた。寒いのに車の前に立つストレスに満ちた運転手の姿があった。大変だ。
 そうして少しアクセルは戻された。こんな事がいつかあったかなと思いながら。

プシュー

プシュー。
 「プシュー・・・・プシュー」
 彼は古い木造の階段を一段上るごとに息をはいた。
「プシュー」
そして、二階に上るとアイロンをかけ始めた。今度はアイロンが
「プシュー」
と、シャツを伸ばしていった。
 アイロンをかけ終わると、スニーカーを履き散歩に出かけた。近所の家の間を縫うように黙々と歩いた。いつもの折り返し地点で彼は息を吸った。そして再び歩きだした。しかし、「プシュー」とは言わなかった。
 彼は自分でその変な癖に気づいていた。しかし、散歩のときは何も考えないのが彼のポリシーだったので、大きな石や、犬の糞をよけながら歩いた。
 途中、いつものパン屋でバケットを1本買って、小脇に挟み市場に行った。今日水揚げされた魚がたくさん並べられ、どれも安かった。彼はそこで舌平目を一枚買った。
 家に帰ると、フライパンでムニエルを作り、昨日の残りのラタテュユを暖め、バケットにバターを塗って食べた。
 そのころになると、もう彼の中には蒸気は残ってはいないようだった。

救い

歩いていた彼は崩れるように突然倒れた。
 周りには誰もいなかった。彼は声を出そうとした。が、出なかった。自分の心臓がまるでそこらへんで太鼓を鳴らしているように聞こえた。
 彼は、ゆっくりと仰向けに体の位置を変えた。かろうじて息ができるようになった。
 ゆっくりと上着のチャックを外し、体を楽にした。
 久しぶりに見る青空だった。死ぬのかなと思った。たぶん狭心症だろう。医者が水分だけは切らすなといっていたのを思い出していた。
 彼は名残惜しそうに目を閉じた。
 しかしまだ呼吸は続いていた。
 誰も通るような予感は無かった。
 しばらく冬眠でもしたように彼は動かなかった。ゆっくりとゆっくりと鼓動が整うのを待っていた。いや、願っていた。
 やがて彼は目を開けた。その目には血がにじんでいた。生きたいという意志が噴出していた。
 彼はゆっくりと立ち上がり、地面を確かめた。
 自分の足が動くことを願いながらゆっくりと家のほうに歩き出した。小さな石ころでも邪魔に思えた。
 たぶん今まで生きてきた中で一番がんばっている瞬間じゃなかろうか。彼はそう思いながら、痛む胸を押さえながら歩いた。
 行く手の信号が赤になった。
 車は通り過ぎ、彼のためには一台も止まるつもりは無いようだった。
 辛抱強く彼は待った。こんなに辛い待ち時間はいままではじめてだ、と思った。
 青になり、ゆっくりと横断歩道を歩いた。
 家まであと少しだ。
 そこで彼は気づいた。家ではなく反対方向の病院に行かなきゃいけないことに。
 そして、道の真ん中できびすを180度返して彼は病院へ方角を変えた。
 多分彼は助かるだろう。

飛行機は空を飛ぶ

秋の昼下がりに散歩をしていると、青い空に小さく飛行機が見える。
赤と白のその機体は僕の知らないところへ飛んでいく途中。
高脂血しょうと診断されたので、休みは散歩が習慣になった。おかげでここ数年年輪のように積み重なった脂肪が少しずつそげている。
 一体どこに飛んでいくのか?しばらくぼんやりと見続ける。秋の日差しがウィンドブレーカの背中を暑くする。
 突然僕の体が空に舞い、気づくと先ほどの飛行機の中にいた。
「お客様・・・・・。」
清潔なシャツを着たキャビンアテンダントが僕に絶句する。
「これはどこに行くんですか?」
「台湾に向かって飛んでいます。」
「台湾か。行った事がないので行ってみたいけれど、明日は仕事に行かなきゃいけないし、どうしたらいいでしょうか。」
アテンダントは、何も答えなかった。こんなことは初めてだろうし、信じられないといった事が彼女の心中だろう。結局僕は、宇宙人よろしくキャビンアテンダントの前に突然現れたのだった。ビックリするのは当然の権利だ。
「さて、どうしましょうか・・・・・。」
アテンダントがそういうので僕は困ってしまった。
「とりあえず、このまま台湾に行くしかないと思います。そこで強制送還というのが順当じゃないでしょうか?。」
言ってみると、それが当然のように思ったのかアテンダントは頷いて、納得したのか僕の席を用意してくれた。それから、他の乗務員に知らせてくるといって歩いていった。
 僕はビジネスクラスの2人がけの席に一人で座った。
 機内は僕が居る事意外は何も変わったことはないようだった。
 座席の航路モニターを見ていると福岡の上空を飛んでいるようだった。もう少しで日本領空をでるようだ。
「でも困ったな・・・・」
そうつぶやいていた。機内のよく効いた暖房のせいで眠くなってきた。そして僕はワインを飲んで酔ったように眠ってしまった。
 
 目が覚めた。
僕は手で安物のこたつ敷きを確かめ、自分の家のコタツの中に居る事にほっとした。その時すぐ上で、飛行機の車輪が出る音が聞こえた。
 急いで外に出てみると、山の向こうの空港へ車輪を出した飛行機が消えていった。
 少々寝汗をかいたようだった。  
                                             了