シンジン蕎麦

蕎麦屋に行って蕎麦を食べる。
当然、誰もが出来ることだが、なかなかに美味い蕎麦には当たらない。
東京は神田の藪蕎麦が日本全国あるわけもなし。
田舎は田舎の蕎麦を食べるしかない。
そう思って、車を西に向けて走らせていると、そう言えば、ここらは蕎麦所だった事に気がついた。
気に留まった看板を頼りに、わき道にそれ、川べりの道を山の方へ数分走るとその店はあった。
口が既に蕎麦口だ。
暖簾をくぐり、店の引き戸を開けて中に入ると、既に先客が大勢いた。
先客の手元を見ると、赤く丸い茶碗ぐらいの大きさの、そんなに底が深くない漆器を3段に重ねた上に蕎麦が盛ってあり、それを箸でつまんで食べている。
どうやら、土地の蕎麦らしい。
席に座ると蕎麦湯が出てきた。水でない所が良いではないか。
「決まったら呼んでください。」
こちらの顔を見もせず、引上げていく。
「お姉さん。2枚追加。」
奥から叫ぶ声がする。
メニューを見ると、シンジン蕎麦と釜揚げ蕎麦、てんぷら・・・・などなどと続いている。
手を上げ、お姉さんを呼んで
「初めて来たんだけど、どれを食べたらいいかな?」
「シンジン蕎麦」
「じゃあお願いします。」
「シン 一つ!」
と言うわけで、私は蕎麦湯を飲みながらしばし待つ事になった。
周りを見れば、なかなか繁盛している店らしく、席は8割がた埋まっている。
店の人も休むまもなく立ち働いている。
程なく、そのシンジン蕎麦なるものが私の席に登場した。
三段重ねた赤い漆器の上に、薄い漆器の皿で蓋がしてあり、それに薬味が数種類盛りわけられている。
蕎麦は、東京のそれとは違い、黒い粒がん混じっている挽きぐるみの蕎麦だ。
上から一段目をとってみると、二段目にもそばが盛られている。
三段合わせてちょうどの量といった塩梅だ。
めんつゆは、徳利みたいなものに入ってあり、それを碗(一段目)にかけて、薬味をちょいと落としてずるっとすすって一噛みする。
腰のある硬めの歯ごたえのあるもので、鼻に蕎麦の香りがすーと抜け、舌に味が広がる。
喉越しもよい。
上から一段目を食べ終わり二段目に行く。さっきと少しばかり薬味を変えてみる。
これもまた美味い。三回、四回とすすりこめば無くなるので、あっという間に三段目、最後になってしまった。
足りるのだろうか?と思い、腹の周りをなでてみる。まだまだ入りそうだ。
それに、こんな田舎にこれほどの蕎麦屋があるとは!と思い、店の名前を探してみた。
箸袋に書いてあるはずだが、と見れば、文字か文字に似せたデザインか、よく読めない。
まあ、帰り際に見ればいいかと思い、
「お姉さん、2枚追加。」
と、脇を通るさっきのお姉さんに言った。
「追加2枚!」
残る三段目をかきこめば、追加の二枚がテーブルに置かれた。
ふと、思って胸に手を当てると、いつもあるはずのふくらみ、財布がない事に気がついた。
あわてて尻のポケットに手をやると、ほっとため息が漏れた。
さっき客先で、上着を脱いだ時に、尻のポケットに入れておいたのだった。
安心したら俄然蕎麦に集中し、あっという間に二枚を腹のなかに収めた。
ああ、これっきり食えなくなるのかと思うと、もう二枚食べておきたくなり
「お姉さん、もう二枚追加。」
と言った。
「お客さん、好きですねえ。」
お姉さんが、あきれた顔で私を見た。
しばらくすると、追加のシンジンと、蕎麦湯が出てきた。
改めて蕎麦湯をすすると、ちょっとしょっぱい、とろんとした濃厚な湯で、シンジン蕎麦とは違った美味さが濃縮されている。
蕎麦も、早速かきこむ。
食べ終わると、かなり満腹になっていた。
「お客さん、奥で休んでいかれ。」
お姉さんは、店の奥の方を指差してそう言った。
車で時間を潰すより、横になって一眠りできればと思い、勘定をすませて、店の奥のふすまを開けた。
ここにも数人の蕎麦好き達が満足げに横になり、新聞を読んだり、TVを見たりしてリラックスしている。
私は部屋の隅に、座布団を枕に横になり、うとうととまどろんだ。
午後の仕事を思うと、昼下がりの幸せなひと時だった。
冷たい感覚に目が覚めると、お姉さんが私の体にジョロで水をかけている。
「ちょっと!お姉さん!」
「もう芽が出てきたわねえ。たっぷり食べたから養分も充分だし。」
と言われ自分の体を見ようとすると、起き上がれない。
まるで砂風呂にでも浸かったみたいに、首から下を埋められて、腹の上辺りには緑の双葉がびっしりと生えている。
「勘定は払った。出してくれ!」
「お客さん。看板見たでしょう。(新蕎麦自社栽培の店。蕎麦は食っても食われるな)って。お客さんは蕎麦に食われちまったんで
しょうがなく、家で世話をすることにしてるのさ。あのままだったら、あんた発狂してるよ。突然腹から蕎麦が生えたら。
一週間もすれば収穫できるから、まあTVでも見てのんびりして。」
「ちょっと待ってくれ、突然こんな事に。これは!」
見ている間にも、双葉はぐんぐん成長し、早回しの観察ビデを見ているようだった。
「理由は定かでないんだけど、・・・・・」
とお姉さんはポツリポツリと私を諭すように話した。
昔、二代前の店主が、手の甲に生える蕎麦を発見したのが初めらしい。
興味本位で育てて収穫し、蕎麦を打ってみると滅法美味い。
これは! というので栽培を始めた。しかし苗床が不足して増産できないジレンマに陥り悩んだ末に、
客に苗床になってもらう方法を思いついた。
種は挽きぐるみの蕎麦なので簡単に仕込める。但し、胃酸でやられるので大量に食べてもらう必要がある。
蕎麦湯も肥料代わりに大量に飲まないとうまく発芽しない。
で、ますます蕎麦打ちに磨きがかかり、美味くなって客も増える。そうすると苗床にも苦労しなくなり、今のサイクルが完成したという訳だ。
「客は怒らないのか?」
「まあ、中には怒る客も居るけれど、人間諦めざるを得ない状況で、手も足も出せないとなったら、自然と適応しようとするのが自衛本能らしく、無事収穫、何事も無かったように帰って行きますよ。」
と、お姉さんはジョロに残ったしずくを私の腹の上で切り、
「じゃあまた後で」
と振り向きもせず、忙しそうに去っていった。

「パンの耳の逆襲」にちょっと満足できなかったので
「シンジン蕎麦」を急遽書いてみました。
安部公房が強いものになってしまいましたが、まあ習作ということで。
因みに、下の商品はこのお話とは全く関係がありません。
こんな話を読んだら蕎麦が嫌いになるかも?
筆者は大好きなんだけど。

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