骨抜き温泉

冬になると雪に閉ざされる峠道、その途中に一軒の茶店があった。
峠越えをする人は、この茶店で一息つけて、ついでに山道の様子を聞いておくのが習いだった。
盗賊も出れば、得体の知れないものもでる昔である。
してはいけないことなども、初めての峠越えをするものは耳をそばだてて不安げに聞いたものだ。
さて、その茶店の中を覗くと、身なりが良くて小奇麗で、
お金持ちそうな若旦那が手代らしきものと一緒に茶を飲んでいる。
「佐吉、もうすぐ峠を越えて国へ帰れるんだね。私はうれしいねえ。」
「へい、だんな様。私も田舎暮らしにもう飽き飽きしました。はやいとこ、この峠を越えて、どこぞの温泉でも
すぽんと入って芸者さんでも呼んで、田舎の垢を落としたい。」
この佐吉と呼ばれた手代の歳は四十前後だろうか。
世間の裏表もようやく分かって、商売人なら、暖簾の一つや二つ分けてもらえる時分である。
なのに、若旦那の子守と言うのだから、そこは知れている。
さて、若旦那と言えば、鼻筋の通った、目鼻の涼しい、二十五・六と言うところか。
さっきから、茶屋の娘が顔を赤くして、困っているところを見ると、なかなか隅に置けない、垢抜けたした御仁と見える。
そういえば、若旦那がしばらく謹慎してた町は、昔から、放蕩息子が親父に勘当手前で勘弁されて、島流しならぬ鄙流しに送られる、
山間の小京都でもあった。おそらく、この手代と若旦那、その手の鄙流しの年季明け、とでも言うところだろうか。
若旦那はチラリと娘に流し目をくれてやり、懐から銭を出して置くと
「ご馳走!」
と、手代の佐吉をほっておいて、先に歩き出した。
これから日が暮れるが、佐吉が言った温泉に上がりこんで垢でも落とすのがいいと決めたみたいだ。
「だんな。待っておくんなまし!」
佐吉が、後をけつまずきながらかけていく。
それから四半時。
だいぶ道も暗くなってきた。
「佐吉、温泉は未だかいな?ずいぶん歩いた気がするが、もう日が暮れて後は暗くなるばかり。道でも違えたのじゃないかしら?」
不安げに若旦那は尋ねた。
「いや、これでよござんす。ええ、間違いはないはずですが・・・・・」
言う端から峠道の不気味さが、佐吉の背筋をそっと冷たくする。
何処からともなく梟の声がする。
そうこうするうち、二人の眼に、暗いが確かな黄色い明かりが留まった。
「・・・若旦那、もうすぐですぜ。芸者が三つ指ついてまっていらあ。」
佐吉は、若旦那を後にして小走りに駆け出した。若旦那もそれに遅れず駆け出した。
ついてみると、どんぴしゃ、温泉だ。
「一番いい部屋へ。それからいいのを二三人。」
佐吉が、若旦那に聞くまもなく、宿の女将らしき女へ告げる。若旦那は、下女に足を洗ってもらっているところだ。
「さて・・・・・・」
畳の上で足腰を伸ばした若旦那が、手ぬぐい片手に
「先に浴びてくらあ。」
「へい。番してます。」
手代を残して、露天へと向かった。
ここらへんの湯は白濁で、ぷんと硫黄の匂いがする。
湯船は湯気で先は見えず
「お邪魔しますよ。」
と若旦那の声が湯に溶けた。
「ああ・・・・・・」
思わず声が漏れるほど、いい湯だった。
すっかり暗くなり、蝋燭の火がぼんやり四方を浮かび照らしている。久しぶりに開放された実感が、若旦那のこころをほぐした。
実際、田舎では、お目付けの手代はともかく、親父の息がかかったなじみの顔が多く、退屈なのに窮屈で、することがない日々だった。
芸者でも呼べばすぐに本当の勘当が待っていた。
やっと手足が伸ばせた。
若旦那は、湯をてですくい、ざぶっと顔を洗った。
「ごめんください。」
ちゃぷんと言う音と共に、女の声がした。
どうやら混浴らしい。と言っても、昔は混浴が当たり前で、男女別々の方が不思議だったのだから世の中は分からない。
すうっと風が吹き、若旦那は、自然と女の方を見た。
胸が苦しくなるほどの美形だ。
目が合った女は軽く会釈をして、向こうを向いた。
「何処からですか・・・・・」
若旦那は、そつなく話しかける。
「ええ、・・・からで・・・・・・・」
女は答えるが、尻が聞こえなかった。
それきり、聞きなおすわけにもいかず、若旦那はいくぶんのぼせて風呂を上がった。
「旦那、長うござんしたね。」
佐吉がたずねたが、
「ああ・・・」
としか、若旦那は言わなかった。
「さて、私ももらってきます。酒はすぐに運ばせますので、お先にどうぞ。」
そういい残して、佐吉は出て行った。
いい女だったなあ・・・若旦那はぼうっと天井を見上げて思った。えらく早くに出会いがあったものだ。
そうこうしているうちに障子が開き、酒が運ばれ、芸者も来た。
若旦那は、慣れた様子で、芸者集と盛り上がり、そのうち佐吉も加わり、宴たけなわとなった頃、ふとまたあの女の顔を若旦那は思い出した。
もう一度見てみておきたい・・・・・田舎の鶴と洒落込んで・・・・の思いがだんだん強くなって、
「佐吉、悪いがお開きにして、俺はもう一度、ここの風呂へ入ってくる。」
そう言って若旦那は、さっきの風呂へ手ぬぐいを肩にかけてふらふらと千鳥足で、歩いていった。
風呂に女が居るわけはないのだが、分かっていながら足が向かう。
野暮天か・・・・・と若旦那は一人つぶやいて服を脱いだ。
それから四半時、佐吉も騒ぐのに疲れて周りを見ると未だ若旦那が居ない。
番頭を呼んで、風呂に行って帰ってこないというと、番頭は顔色を変えて露天へ走っていった。
それからまもなく、若旦那は骨抜きとなって発見された。
服を脱いだ後、若旦那は
「ごめんよ。」
と湯船へ入っていった。
女が居るわけでもなし、他にも人は居ない様子。
ふーっと酒臭い息が漏れる。
すると、後ろで湯が鳴って、振り返るとあの女であった。
「あっ・・・・」
と思わず声を上げたが、それからは若旦那の手練手管で、女の口を吸うのに時間は要らなかった。
だが、若旦那が口を吸ったと思った時に、体の中から何かが抜ける心持がし、急いで口を離したがもう遅かった。
若旦那の体の骨はあらかた女に吸い取られ、吸い取った女は美味しそうに舌で唇をなめ、お代わりを求めてきた。
それを若旦那は、残った力でようやく振り払い、やっとのことで洗い場までたどり着き、気を失った。
湯の中では浮かぶので良いが、陸にあがれば皮一枚。気を失うのも当然だった。
「どうしよう・・・・・」
佐吉は酔いも冷め、番頭に泣きついた。
番頭は、困ったものだと佐吉に言ってから、小僧に雨戸を持ってこさせ、変わり果てた若旦那をごろんと乗せて部屋まで運んだ。
部屋に戻ると再び佐吉が、
「どうしよう・・・・」
と、こちらは肝を抜かれた様子で、番頭に泣きついた。
番頭は慣れた様子で、佐吉に言った。
「峠の茶店で聞いてなかったと見えますな。
今宵は骨抜き女が一年に一度、骨を吸いに温泉に来る日なんです。
その女はえらく美人で、私も見たことはありますが・・・・・たぶんあの女だと思うんですが・・・・そりゃあもう・・・・
吸われた人は、この世と思われぬ、えもいわれぬ心持がして、願わくばもう一度あの女に吸って欲しいと思うそうですが、
確かにあんな美女に・・・・と思うと・・・・・・
まあ、それはおいて置いて、その女、酒のしみた骨がこの上なく好きと来ている。
だから、今日は気をつけなくちゃいけない日だったんです。
入り口にも書いてあったでしょう。「酒を飲んで風呂へ入るべからず」って。
まあ、一週間もすれば、骨は元に戻りますから、ごゆっくり御逗留なさって、骨を作ってください。」
そう言い残して部屋を後にした。
それを聞くと、佐吉は残っていた酒を口に流しこみ、急いで風呂へ走っていった。

小説と下記温泉宿は全く関係ありませんので。
因みに、「楽天トラベルアワード2007 中四国地区 プレミアム部門 お客様の声大賞」受賞のGoodなお宿です。

長門湯本温泉 大谷山荘

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