昔々、ある貧しい男が、道端の老人の物乞いに、自分のお昼のおにぎりを恵んでやった所
「これは有難い。願いを三つかなえてやろう。」
とその物乞いが言った。
貧しい男はどうせ嘘のなのだからと思い、
「たくさんの金が欲しい。」
と言った。
老人はおもむろにエイ!と呪文を唱えた。
すると、貧しい男の懐が急に重たくなった。
財布を取り出してみると今まで見たことない黄金が、財布一杯になっていた。
「次は?」
と老人は涼しい顔をして言った。
貧しい男は
「美人で、気立てがよく、何でもてきぱきこなせて金も稼げる、俺に惚れている女房が欲しい。」
と言った。
「条件が多いな。まあ、よしとしよう。」
老人は、またしてもエイ!と呪文を唱えた。
すると向こうの道から綺麗な女性が歩いてきて、貧しい男に向かって
「あなた。今日の晩御飯は何にしようかしら?」
と言った。
どうやら小汚い老人は、世に言う仙人らしく、貧しい男も今度ばかりは本当に信じた。
そして最後の願いを何にするかと考え始めた。
この手の話は良く聞いたことがある。
最後の願いで今までの願いが全て無駄になると言うオチではなかったか?
だとすると、最後は何にするべきなのか?
永遠の幸せを願うか?
いや待て。
そんなことは誰にも定義できやしない。
独身で貧乏な方が幸せと言う偉人だっていたはずだ。
で、あれば・・・・。
そうか!
と、男はひらめいた。
打ち出の小槌がなければ宝は出ない。じゃあ打ち出の小槌を作ってしまえば永遠に宝は出し放題。
要するに、俺が仙人になっちまえば済む話じゃないか?!
いや、ちょっと待て。
仙人といえばこの爺さん。いかにも小汚い。
じゃあ、今の俺の状態でままで仙人になれば良かろう。
そうして貧しい男は
「俺を、お前さんのような貧しく小汚い仙人ではなく、若々しく富める仙人にしてくれ。」
と言った。
すると、小汚い仙人は即座にエイ!と呪文を唱えて貧しい男を仙人にした。
あっけなく仙人になれたので、若者はとても喜んで老人に礼を言った。
「礼などとんでもない。ワシの方が礼を言いたいほどだ。」
と老人は長年の夢が叶ったかのうように、顔の深い皺をくしゃくしゃにして、満足げに微笑んだ。
不審に思った男が理由を聞くと老人は
「いやいや、不老不死と言うのは本当に疲れるもんだよ。いつ終わりが来るのだか・・・・永遠の命とは退屈の極みでしかなかった。」
と言った。
「なかった?」
「そう。仙人の決まりで、仙人を止められるのは代わりの仙人を見つけた場合に限られているからね。」
老人はそう言って立ち上がり、尻のホコリを手で払った。
「永遠の命と、何でも出来ることがそんなに不幸だとは思えないが?」
仙人になった男はさらに問いかけた。
「欲望というものはたかが知れているもので、1000年もすれば、毎日が昨日の繰り返しのように感じ出すのさ。
全てに飽きてしまう。すると俺のように道に座っているぐらいしかやることがなくなる。そんな姿を、人は瞑想と言うけどね。
そして、お前さんのようなものを見つけては、三つの願いを試してみるんだ。お前さん何人目だか・・・・2000までは数えたが、止めてしまった。
古今東西のこの手の話は、仙人が繰り返し繰り返し、脱仙人を試みた結果が流布しているだけの話なのさ。」
「信じられないが・・・・」
男は手に入れたばかりの宝物が、実は・・・・と言われても全くぴんとこなかった。
「まあ、楽しくやりなされ。」
そう言うと老人はよぼよぼと歩き出し、立ったまま見送る男の視線からやがて見えなくなった。
それから、仙人となった男は自分の思いのままの生活を始めた。
100年、200年・・・・。
男は夢のような暮らしを続けた。
そして・・・・・1000年後。
男は道端に仙人のような格好をして物乞いをしていた。
「こういう格好をしていないと、誰も恵んではくれないか・・・・。
恵んでくれなきゃ願いもかなえてやれず・・・・まあ格好なんざどうでもいいけど・・・・とにかく退屈だ。
一眠りしよう・・・・」
仙人になった男は一人ごちた。
了
仙人になりたい話は芥川龍之介「杜子春」が有名。
でも、仙人ってそんなになりたいか?
と子供心に思ったか?
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