モノラルとステレオ

私がラジオを聴いていると、友人がやってきて、
「モノラルは古臭くていけない。ステレオに変えよう。」
と言った。
「ステレオもモノラルもちょっと音が違うだけなのだから、どっちでもいいではないか?」
と問うと、
「いや、ステレオでないといけない。そもそも人間の耳は二つあり、基本的に両方違う音を同時に聞いているのだ。」
「違う音を聞いていたって、頭の中では一緒になるだろう。」
「一緒にはならない。二つの目で物を見ると立体的に見られるように、音の奥行きが発生するのだ。」
「つまり、私は2次元の音を聞いている?と言うことか?」
「そうだ。2次元と3次元では世界が違うように、音に奥行きが在るか無いかは天と地の差がある。」
「そう言うが、音楽はそもそも空気の振るえ。つまりリズムとメロディーではないか。
つまり、左右で違ったとしても、基本的なものは一つではないか?」
「違う。両方の耳で聞こえたものをその様に再生する事でより臨場感が感じられるようになる。」
「お前は、より多くの情報がより多くの感情をもたらすと考えるのか?」
「極論ではあるが、間違いではなかろう。」
友人は少し得意げに言った。
「そうかも知れない。しかし、だからと言ってステレオがモノラルに勝るとは言えないと思うのだが?」
「そうだな。価値に絶対はないからな。」
「つまるところ、好き嫌い、又は気にするか否かの問題にまでレベルを下げることができるのではないか?」
「そういうと、身も蓋も無くなるが・・・・」
「であれば、私が先に言ったようにどっちでもいいのではないか?」
「まあそう言われればそうだが・・・・・」
と、友人は私に言いくるめられ、嫌な顔をした。
しかし直ぐに反論してきた。
「しかし、音を3次元化することにより、より表現の仕方が増えることになりはしないか?」
「理屈上そうなるね。」
「そうだとしたら、2次元のままで満足するのはそれでもよいが、可能性を求めるのであれば3次元、つまりステレオではないか?」
「確かにそうかも知れない。右から左、上から下へなど立体的に表現できればそれだけ幅が広がり、人間の感情を直接刺激できるからね。」
「そうだろう!」
友人は、勢いづいた。
「しかし、確かニーチェが言ったと思うが、音楽はある意味で大変危険なものではないか?」
「と言うと?」
「感情に直接及ぼす影響が大きいと言うことではないかな?」
「具体的に言うと?」
「例えば突撃ラッパ。一時、人間から善悪、死の恐怖を忘れさせる。」
「確かにそうだな。ある音楽を聴くと感情が音楽に掴み取られ、左右される。」
「であれば、むしろ我々はモノラルで感情を防御する方が良いのではないか?
お前はお前の感情に土足で入ってくるやつの方が好きなのか?」
「そう言うと苦しいが・・・・・そこまで考えて聴かなきいけないのも疲れると思うけど・・・」
「詰まるところ、好みだろうけどな。」
「まあそうだね。」
友人は納得したようではあったが、話の出口には納得していない様子だった。
ラジオからは、「ワルキューレの騎行」が流れ始めたていた。

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