不安に追われ目が覚める。
まだ、暗い。時計の明かりをつけると、まだ4時だ。目覚ましが鳴るまでまだ3時間ある。
だが目を閉じても寝られない。
不安と心配が沸き起こり、頭を蹴飛ばし続ける。
新聞配達の車の音と、ポストの音が聞こえる。
いつもと変わりのない日が始まろうとしているが、己だけは疲れの上に疲れが溜まり、寝られない日々が続いている。
おまけにプリンタの具合も悪くなってきた。
イベントビュアで原因は分かったが、USBアダプタを交換しないといけないようだ。
また、下らない作業で時間が食いつぶされる。
そう、いつも決まって、下らない邪魔が入るのだ。
負のスパイラルに二層式の洗濯機の渦のように吸い込まれ、ガンガンまわされ続けると頭の回転力も落ちてくる。
オーバーワークなのだ。スケジュールは一杯一杯だ。いつ、交換するのだ?
世の中に、今の状況は演繹できる。つまりこういうことだ。
「できるやつが、より多くの事を行い、できないやつは、できるやつに助けられて、より小さなことを行う。」
総理大臣と町長を比較してみれば分かる話ではないか?
いや、己のなすべき事をしているだけである?
しかし、オーバワークだとしたら?
大統領がオーバーワークで、ちょっと待ってくれと、思考を停止したら?
核バッグを預かるのをちょっと待ってくれ。休憩させてくれと言ったら。いや、言えたら?
結局は、「へたれ」と言われるだけだろう。同情してもらっても何も救いにはならない。
言い訳を述べたところで、何にも役には立たない。いや、言い訳という言説で、嘘を言われ、なお期待を抱かさせるのは真っ平だ。
「今度は上手くいきます?」
今、世界が終わろうとしているのに、今度を任せられるのだろうか?
人生は、それぞれ、そんな人生を送るべくして送っているとすれば、ホームレスから総理大臣まで、あがいたって無意味なのかもしれない。
上の階へ行こうとしても、自ずとそこには限界と言うものがある。
それは、二人が同時に総理大臣になれないように、皆が金持ちにはなれないのだ。
貧乏人がいて金持ちがいる。
金持ちは、貧乏人が金持ちになることを拒否するのだ。
それは、望むか望まないかの原因ではなくその様な仕組み、構造になっているが故なのだ。
そして敵を作る事を覚悟して言うならば、貧乏人は金を望んでいないのだ。
どこかで、こんなものだろうと納得してしまっているのだ。
俺がそうなのか?
翻って考えよう。
不安に追い回され、閉塞した状況に常に置かれ続けている今、俺はどうすればいいのか?
リタイヤするのか?
いや、多分それは得策ではないだろう。誰も無料のエレベータには乗せてはくれない。
この悪酔いしそうな、おんぼろバスには無理にでも乗り続けるしかないだろう。
行き着く先が何処であれ、今は乗り続けるしかないのだ。
「今は」に、閉じ込められた監獄から見える僅かな青空のような希望を込めて。
この眠れない現状は続けるしかない。
くたくたになって、へとへとになって、24時間計算し続け、歩き回り、お金を拾って歩く。
そして、文句を言われ、けなされ、見下されそして、愛想をつかされる。
いいではないか!
それが、そうなるべくして、そうなったのだから。
運命なのだ。
布団の上から自分を見下ろし、自分がそう言った。
そしてまだ、眠れない。