日本語が亡びるとき 水村美苗

日本語が亡びるとき

筆者は水村美苗。漱石の『明暗』の続きを書こうと試みた『続明暗』で有名な人。
12歳からニューヨークに住み、現在プリンストン大学で近代文学を教える小説家。この本からは、日本の近代文学に対する非常に強い愛が伝わってきた。
なぜ日本語は「亡びる」のか?
筆者は言語の概念を三つに分けている。〈普遍語><現地語><国語>。
<普遍語>は例を挙げれば英語・ラテン語など。世界の中で力を持ち、「読まれるべき言葉」となった強い言語。
<現地語>は、人々がちまたで使う俗語口語。
<国語>は、<国民国家>の成立とともに生まれたもの。
翻訳とは、上位のレベルにある<普遍語>に蓄積された叡智、<普遍語>によってのみ可能になった思考の仕方を下位のレベルにある<現地語>の書き言葉へ移すことらしい。
そっか、やっぱり言語にも上下・強弱はあるんだ…
で、翻訳を通して現地語が「書き言葉」になる。<普遍語>に翻訳し返すことまで可能なレベルの書き言葉になっていき、この書き言葉が<国語>だという。
<国語>は国民国家を背負うのだから、美的にも、倫理的にも、最高のものを目指さねばならなくなる。
この辺の考察が面白かった。日本が植民地化を免れて、今の漢字かな混じり文を保持できた経緯も詳しく述べられる。言葉というものは自然に守られるものではない。
インターネットによって、無反省に、ますます英語が<普遍語>化していくことへの懸念もあり、日本の学校教育への危惧もアリ。
日本語が亡びないために、「近代文学」を読み継がせるべきだと主張している。これが現実的に有効かは?で、多少感情に走り気味だとは思うんだけど、情熱、偏見があって自分の立場を表明することは少しも悪くない。
賛否両論ある本のようだけれど、面白いです。
どこかの大学入試で出題されることはまちがいないでしょう。