僕の妻はエイリアン  泉流星

僕の妻はエイリアン

著者:泉流星
言語能力には優れていて、言語学を学び、アメリカ留学の体験まである女性と結婚した夫。
しかし妻はときどき周囲の目を忘れたかのような言動をして夫を悩ませる。
「個性的」を通り越した妻とはケンカがもちろん絶えない。悩んだ妻はついにアルコール依存症、うつの症状も出てしまう。
妻が自分のことを思い悩み、調べ、受診して出た結果は・・・彼女はアスペルガー症候群だった!
そこから、ちぐはぐになりがちな夫婦のズレを克服しようと奮闘する。
内容は非常に深刻なんだけれど、ユーモラスに、夫婦生活を率直に語っていて面白い。
私の偏見では、アスペルガーの人は社会的なコミュニケーションが難しいから、結婚は特に難しいだろうと思っていた。でも程度は人それぞれ。
言語能力にたけていて、コミュニケーション能力に欠けるというのも、矛盾しているようだけれど現実。コミュニケーションというのは、言語だけではないとだなとつくづく思う。
妻はダスティン・ホフマン演じる「レインマン」とは違って、数字にはめっぽう弱く、接客の仕事もできず、今はモトクロス関係の翻訳をしているとか。
コミュニケーション能力に欠ける人との結婚生活なんて、ちょっと避けたいと私は思うけれど、愛の力とはすごい。そして、妻が自分で自分のことを直そうとする意志の強さ、好奇心、探究心の強さに尊敬を感じた。
夫が妻のことを語るという形式で書かれた本だけれど、実は実は、この本は妻が書いていたというあとがきにも驚き。これほどリズムのある、軽妙な文章が書けるってすごい。
アスペルガー症候群。本人も、周りの人も辛いと思う。でも、自分はそういう障害なんだって気づくこと、知ることが社会のなかでの生きにくさを克服するために必要だってことを改めて感じた。

わたしのリハビリ闘争  多田富雄

わたしのリハビリ闘争

著者:多田富雄
2001年の夏に脳梗塞で倒れた著者。右半身の完全麻痺、高度の構音、嚥下障害になり、お粗末なリハビリ、優れたリハビリを経て少し歩けるようになり、原稿は左手の指一本で書けるようになったという。
リハビリを続けたおかげで、人間的な生活が送れるようになってきた2006年、政府による診療報酬改定でリハビリが日数によって打ち切られることになった。これはリハビリを生きる希望にしている人々にとって残酷な仕打ちであると著者は訴えている。
ネット、その他の手段で44万人の署名を集めて厚生労働省に提出するものの、叫びは受け入れられず。一部法は改定されたものの、それは根本的な解決にはなっていない狡猾なものだという。
この本の出版が2007年。2009年の現在で法は変わったのかわからないが、「日数で打ち切る」というのはやはり非人間的だと思う。
厚生労働省・・・財源が無いから仕方が無い面もあるし、リハビリが「無駄」なこともあるとは思うけれども、人の痛みに鈍感すぎる。
縦社会の日本では現場の声はあまり聴いてもらえないのか。医師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士など、実際のリハビリにかかわる人は「日数で打ち切るのが一番」と思っているのか。行政のあり方に疑問を持ってしまう。
著者はもともと高名な免疫学者。脳梗塞になったこと、リハビリ打ち切りの目にあったことが著者の第二の人生をスタートさせたような感がある。
本の内容は、いろいろな媒体に出した文章の寄せ集めで、内容が重なるところも多かったけれど、こういう問題は、当事者になってみたいとその切実さはわからないだろうと思う。
誰だって病気になる可能性はある。その試練を社会的な訴えへと還元していこうとする強さを著者の姿勢に感じた。

昭和天皇  原武史

昭和天皇

著者:原武史
政治史の中の昭和天皇ではなく、「お濠の内側」の昭和天皇について書かれた本。
新書なので深みには欠けるけれども、昭和天皇の肖像を知る上でちょっとは役に立つかも。
昭和天皇・・・もう人生の半分以上を「平成」で生きてきたので、印象は薄い。高校時代、受験勉強に必死だった頃に「下血」という言葉が連日新聞紙上にあったことは覚えている。
あと、もっと小さい頃だけれど、昭和天皇が、戦争について「遺憾」という言葉を用いた、ということも大ニュースになった。「遺憾」という言葉を初めて知った。「遺憾」という熟語は私にとって、昭和天皇とセットになって出てくる。
さて、この本で強調されていることは、昭和天皇が「宮中祭祀」に対して非常に熱心だったということ。大正天皇が病弱で祭祀にあまり参加しなかったのに対して、昭和天皇は新嘗祭や神武天皇祭など多くの祭祀で「神」への祈りを重ねた。
皇族間の確執や、母である皇太后との微妙な関係、(皇太后はけっこう干渉する人だったもよう)なども、資料をもとに紹介している。
生物研究に非常に熱心だったことも。これは今上天皇にも秋篠宮にも受け継がれていますね。
天皇の(実はもっとも)重要な仕事として宮中祭祀がある、ということは最近になってクローズアップされてきた。
雅子妃の病も、宮中祭祀に出ることが苦痛であることが一因とも言われている。(おすべらかしにしたり、身体を清めたり・・・で二時間の準備が要るそう。近代的家庭に育った人には確かにしんどそう)
今上天皇も非常に祭祀には熱心なようだけれども、これからどうなっていくのか。長生きして、次の次の天皇ぐらいまで見つめたいものです。

看護  ベッドサイドの光景  増田れい子

看護

著者:増田れい子
フリージャーナリストの増田れい子氏が実際の看護師にインタビューを重ねて編集された本。
看護師・・・女の子にとってはポピュラーな「将来の夢」だけれども、子どもの頃から現在まで、看護師になりたいと思ったことはない。
自分も家族も、入院したことがほとんどなく、身近にも看護師はいない。自分の適性を考えても、おっちょこちょい、体力ない、病院キライ、注射針が刺さるのを未だに見つめることができないビビリ・・・というわけで、無理だと思う。
しかし、不況の今、職にあぶれることなく、女性でも手堅く収入を得られるのが看護師だと思う。
本当に本当に大変な仕事だと思うけれども・・・
去年、生まれて初めて入院を経験した。しかも二回。看護師さんというのは本当に大変、その働きぶりにも頭が下がった。看護師さんの一言で頑張れた局面もあったし、忙しいのに気遣ってもらって、恐縮した。
さてこの本『看護』。ベテラン看護師、外国人看護師、看護助手から勉強して看護師になった人、看護師長という管理職などの率直な声を聞くことができるが、看護師は病気だけを見つめるのでなく、患者を一人の人間として観察し、方針を立てることが大切だという。
ある看護師ががん患者を担当して残した課題のメモを挙げると
1 患者を好きになれるか 
2 自分を信頼してもらえるか
3 患者の長所を早く見つけなければ
4 努力必要   
とある。いつもこんな気持ちで患者に向き合うことは難しいと思うけれども、メモって大事かも。それに、看護師以外の、人と接する職業でも、これらのポイントは重要だと思う。
患者と共に「生ききる」ことが看護なのだと看護師はインタビューで示唆したという。
患者の内部にひそむ「生きる力」を引き出して「生きてあることの喜び」を生む仕事だと。
人はいつか死んでいく。看護師は3Kとも言われるキツイ仕事。でも尊い仕事だと改めて思う。もちろん、どんな仕事でもやりようによって「尊さ」が生まれるとは思うけれども。
看護師希望の中学生や高校生にもオススメの一冊です。

「生きる」ために反撃するぞ! 雨宮処凛

「生きる」ために反撃するぞ!

著者:雨宮処凛   湯浅誠氏と鶴見済氏との対談もある。
雨宮氏はもともとは右翼団体にいたらしいけれど、今は「反貧困」の活動家。「反貧困ネットワーク」の副代表。
この本は、「実用本」だ。実際に過酷な労働条件や不安定な生活にさらされる人のための「自己防衛マニュアル」。
フリーターでも労働組合に入れるとか、派遣先でぼったくられたらどうするかとか、明日の生活費がなくなったらどうするかとか、具体的なアドバイスがいっぱい。
やはり「知識で武装」することがとても大切だとわかる。雇用主でも知らない法律は多いらしいから。
そして、「団結」することも。一人で立ち向かうよりも、ネットワークに入った方が強い。
あとは、過酷な労働の現状。美容師・旅行添乗員の過酷な世界、外国人労働者の人身売買的なシステムなど。
私は運良く、今まで労働条件が酷すぎる!と思ったことはあまりないけれども、これから働くときには困ったことも出てくるかもしれない。そんなときはこの本を読み返してみようと思う。なかなか強気には出られないけれど・・・
一番「ほほう」と思ったのは「セクハラにあわない方法」。雨宮氏は数々のセクハラを受けたが、「ゴスロリ」ファッションにしてからというもの、セクハラどころか好きな男性にも相手にされなくなったという。
なるほど・・・私自身はひどいセクハラに遭った事はないけれど、これも一つの方法。
美しく生まれついて、あるいは気が弱そうに見えてしまってセクハラに遭いがちな方には非常に有用なアドバイスですな。

僕は、字が読めない  小菅宏

僕は、字が読めない。

著者:小菅宏
南雲明彦さんという24歳の青年(表紙の写真にあるように、なかなかの好青年)が、読字障害(ディスクレシア)と闘い続けた記録。南雲氏へのインタビューと、母の日記が中心になっている。
読字障害というのは学習障害の一つ。文字を読むのに人一倍時間がかかったり、文字をまとまりで理解することが出来なかったりするという。程度は人によってそれぞれ。
会話のコミュニケーションにはまったく困らない。
読字障害をカミングアウトしている人は海外に多い。有名どころではトム・クルーズ、ウーピーコールドバーグ、などなど。医師や小説家にもいる!
知能が低いわけではなく、苦手分野があるだけということ。でも、文字を使うことが必須の文化であるために日常に非常に支障が出る。
私も「さかあがり障害」で「軽い方向障害」だけれども、日常に支障はない。
読字障害がいかに本人を苦しめるかということは本を読めばわかる。苦しさの歴史、という感じだ。
南雲氏は数回の自殺未遂を繰り返し、高校も途中からいけなくなり、引きこもりになった経緯がある。
黒板を写すのに時間がかかって勉強についていけない、アルバイトはすぐにクビ。「なぜ自分はこうなのか」ということがわからない。
でも、自分が典型的な「読字障害」ということを知ったことで本人も家族も気が楽になったという。
学習障害とか、アスペルガー症候群とか、近頃よく言われるようになったけれど、大切なのは本人も親も周囲もそのことを「知ること」だとわかる。知ることによって対処もできるし、「適材適所」の仕事が見つかる可能性もある。
「頭が悪い」「異常に空気が読めない」と普通のものさしで判断して悲観する前に、現実を知ることの大切さを知った。

メディアに心を蝕まれる子どもたち  有田芳生

メディアに心を蝕まれる子どもたち

著者:有田芳生
この間の衆院選では落選して残念だった有田氏。素直に繰り上がって参議院議員になっとけばよかったのに、この人らしい選択だ。
さて、題名を見ただけで中身がわかってしまうこの本。深刻な少年事件の背景には、過去十年余りの間に劇的に発展したメディアの影響があったと述べている。
オウム真理教による一連の事件。繰り返し流された映像を見続けた子どもたちの心が気づかぬうちに蝕まれていたという。
インターネットや携帯電話など、個人に向けて発信される情報も氾濫する時代。親はどう子どもを守るべきか、メディアの危険性を警告している。
内容に目新しいところはなかった。こういった類のことは悪いけど聞き飽きてる感じ。
もちろん、「テレビ映像」「インターネット」が子どもに悪影響を与える面があることには賛成する。
なるほど、と思った記述は、子どもたちが実際の経験なくして「映像」で何もかも経験した気になってしまうということ。生の経験が不足すれば、他者の痛みを理解したり自然の怖さ、素晴らしさを知ることも難しいだろうと思う。
赤ちゃんにはテレビを見せないこと。テレビは親子で見ること。まあ、実践は難しいけれど当たり前のことですね。
しかし、子どもだけではなく、大人だってメディアによって痴呆化している面もある。
私も含めて。仕事を辞めてからよくテレビを見るようになったけれど、なんでもかんでもエンターテイメントに仕立て上げるものだ、と感心する。
鳩山総理の朝ごはんとかCDとかファッションとか、本当にどーでもいいと思うんだけれど。

食ショック 読売新聞「食ショック」取材班

食ショック

読売新聞の年間連載企画をまとめたもの。
第一章は冷凍ギョーザ中毒事件のルポを交えながら、輸入食品の問題点を検証している。
第二章は大量の食料を輸入し、大量に捨て続ける飽食ニッポンの姿を浮き彫りにし、記者が体当たりで996カロリーの「完全自給食」人体実験を行っている。
第三章では様変わりする食卓の風景と背後にある産業化やライフスタイルの変化、経済格差の広がりについて分析している。
巻末に「ムダを出さない保存と調理のコツ」が分かりやすくまとめられている。主婦なら常識というものばかりだけれど、初心者、単身者には役に立つだろう。
完全自給食は気の毒だけれど興味深かった。食べるものは米、イモ、魚。卵は餌がほとんど輸入ということで食べていない。これはおなかがすくし、力も出ない。
輸入をやめざるを得ない状況になったら、日本人はすぐに飢えて死んでしまうだろうと怖かった。
食事は生きる基本であり、家族のコミュニケーションの手段であると思うが、これも多様化し、「キャラ弁」に力を尽くす人、「サプリメント」だけで生きているひとなどさまざま。
昔からなのかもしれないけれど、健康と楽しさのために「食」に気をつけて手間ひまをかける人、コンビニやファストフードに頼っている人、お菓子を食事代わりにする人、現代になって食のスタイルにも「格差」が生じているような気がする。
実際、朝ごはんを食べない子どもが増えているらしいし。
政権が変わって、農業や教育が政策によってどう変わっていくか分からないけれど、農業、食は国の基本。大事にしたほうがいいと思う。
もっとごはんを食べよう!

アマニタ・パンセリナ 中島らも

アマニタ・パンセリナ

著者:中島らも
のりピーと押尾氏の逮捕によって、麻薬のニュースが連日流されている。二人とも子供がいるのに、何やってんだ!と思うけれども、それほどに麻薬は魅力的なものなのか?
この本は、2004年に亡くなった中島らもが、自らの「麻薬体験」を綴ったもの。
書かれたのは1995年。表紙はかわいいキノコの絵でメルヘン調だけれど、このキノコはそんな牧歌的なものではなく、幻覚をもたらすものだ。
体験した麻薬のラインナップがすごい。睡眠薬から始まり、覚せい剤、アヘン、咳止めシロップ、シンナー、ハシシュ、大麻、LSD・・・最後はアルコール。
ずいぶんと若いときから薬と出会っていたことを知った。いいとこのボンボンなのに。
しかし、麻薬は恐ろしい・・・読んでいてこっちまで気分が悪くなる。そのときはいいかもしれないけれど、後が怖い。
咳止めシロップが麻薬なんて、知らなかった・・・
この本で中島氏が「自分は階段から落ちて死ぬだろう」と予言しているが、実際に彼は階段から落ちて死んでいる。それも酔っ払って。
この本の最後には、「断酒宣言」をしている。(1995年)でもその後で大麻で逮捕され、飲酒もしている。やはり麻薬とおさらばするのは難しいのか。
この本の中で、アルコールは私もキライではない。でも、飲まなくても生きていける。この間キリンの「フリー」(ノンアルコール)を飲んだだけで、なぜか愉快になれた。
私は麻薬は使わないだろう。だって、お金がもったいないんだもん!缶ビール一本でかなり陽気になれるし。
麻薬逮捕の報道を見て、「クスリってどんなものなの?」と好奇心を持った方にはわかりやすいガイダンスになる本だと思います。

共依存・からめとる愛  信田さよ子

共依存・からめとる愛

著者は臨床心理士の信田さよ子氏。
まるで、昼メロみたいな題名だ。「からめとる愛」・・・
筆者はアディクション(嗜癖)の専門家。アディクションとは、害があるのに止められない悪い習慣(アルコール中毒とか)のこと。
他にも、アダルト・チルドレン、DV、虐待の問題にもかかわってきたという。
「共依存」とは難しい言葉だが、問題を起こす人を自分で抱え込むことで、さらに事態が悪化しているケース。
アル中の夫に困り果てながらも、後始末をし、暴れないようにお酒を用意し、苦労を一人で背負い込む妻とか、恋人のDVに遭いながらも耐える女性、ひきこもりの息子を抱え込む母などなど。
簡単に言ってしまえば、問題を抱え込む人は「この人は私がいないとダメなのよ」と思う自己満足を求めている人が、事態を悪化させているということ。
筆者は、それを「利他的であるという自己満足の底にひそむ途方もない利己的欲望」と厳しい言葉で表している。
夫婦なんかは長くやっていれば「この人は私がいないとダメ」と多少はお互いに思うだろうし、親子でも、他の人間関係においてもちょっとの「共依存」は必要だと思う。
だけれど、それが相手を密かに「支配」することに結びつけば、問題が生じる。
私は今までそんなドロ沼の人間関係に陥ったことがないけれど、これから年を重ねればわからない。どちらかというと人をコントロールしたがるタイプなので、気をつけねばと思う。
あと、この本では小説、テレビドラマ、映画など、さまざまな事例を臨床心理士としての視点で分析し、斬っていたのが面白かった。
私の好きな映画、
ジョゼと虎と魚たち
が誉められていたので嬉しい。
「冬のソナタ」についての著者の考えも面白い。「冬ソナ」観たことないけど、「なるほどーっ」って感じだった。