すれ違う背中を  乃南アサ

すれ違う背中を

すれ違う背中を

価格:1,470円(税込、送料別)

臨床心理士の子育て相談  高石恭子

臨床心理士の子育て相談

著者:高石恭子
読んでいる途中で、この人の師が故河合隼雄氏だと知った。なるほど。
子どもが可愛いと思えない、性のこと、子との分離の悩み、父親の役割、そしてこころの病を抱えながらの子育てについてなど、48の具体的な子育ての悩みに「寄り添う」形で臨床心理士らしく丁寧に答えている。
子どもについてというよりも、子どもと向き合う自分の心についての相談。
子育ては、自分自身のなかに住む「子ども」を育てなおす面があるとか。子ども時代に深い傷つきや満たされたかった甘えや未解決の問題があれば、わが子とのかかわりの中でその課題と向き合うことになるとか。
これから私はいったいどんな課題に向き合うんだろうか。これからありそうな悩みにもホッとするアドバイスをくれているので、参考にしようと思う。
今とりあえず深い悩みはない。深く眠れないことぐらいかな。
今朝三時半に起きて(起こされて)そのまま起きてしまってちと眠い。でも、昼寝するスキはある。
ただ、「ハァー…」と思っていることに関して心理学的な一つの解答を得ることができ、ちょっとスッキリした。
この人の他の著書も読んでみたいな。

六つの星星  川上未映子

六つの星星

作家の川上未映子氏が憧れ、驚嘆し、信頼しているという6人の人々との対話集。
斉藤環氏との対話では家族や来歴からの精神分析の様相を呈し、
福岡伸一氏とは文学のなかにおける「生物」としての人間を語り、
松浦理英子氏とは性の呪縛をいかに超えるかを語り、
穂村弘氏とは詩のことばについて語り、
多和田葉子氏とは「文字」「ことば」の力について語り、
永井均氏とは倫理と道徳について語り、また、川上氏の小説『ヘヴン』の秘密についての公開対話も収録されている。
読むと、やはり川上氏は詩人、小説家になるべくしてなった人なんだなあと思う。世界の捉え方が独自で、先入観とか常識とかのフィルターを通さずに直に見られるというか…
ものごとを直に見るときに、ことばって邪魔になりそうなものだけれど、彼女の場合はそうではないみたいだ。
穂村弘氏、随筆家、歌人としてはナイーブでおもしろいものを書く人だと思っていたけれど、対話で言っていることは私にはレベルが高すぎて…?だった。
哲学者の永井均氏との対話が面白かった。「死刑」についての考え方とかがとても新鮮だった。これも、常識とか、一般的な感情とかから切り離したものの見方があって、やっぱりテレビだけじゃなくて、新聞だけでもなくて、「本」ってものをたまには読まなきゃね、と思わせられます。

逆に14歳  前田司郎

逆に14歳

作者:前田司郎
劇作家の描いた小説。
丸田史郎という小説家(年齢は分からないがおそらく70歳超の老人)は、友人の葬儀で俳優の白田(これも老人)と再会する。
白田といっしょに暮らすことになった史郎。白田の情熱から、二人で劇団を作って演劇をしよう!という話になるが、団員を募集するとあまりに応募が多く、二人は逃避旅行に出る。
そこで得る新鮮な?性の経験とは・・・
ストーリーはまあまあだけれど、成熟してないというか、いつまでも大人にも老人にもなりきっていない老人の心理描写とか、ディテイルが面白い。
作者は30代前半。体力、記憶力、鋭い性欲が衰えているさまを、若いひとの感性で描くギャップみたいなものが新鮮だ。
いつまでも、トキメキたいという思いはある老人。作者は自分の何十年後かを主人公に重ねているのかしら。
人間の本質というのは、確かに歳をとってもそう変化がない気がする。友人との話題は学生時代は「恋バナ」から「取れないお腹の脂肪について」に変わってきているけれど…
私は子どもの頃、勉強中とか授業中とか、退屈になるとノートの隅に「ドラえもん」の絵を描いていた。今も、手持ち無沙汰のときとか、広告の隅に「ドラえもん」を描いてしまう。
たぶん、老人になっても、老眼鏡かけて新聞をよみつつ、隅っこにドラえもん描くんじゃないだろうか。

世紀のラブレター 梯久美子

世紀のラブレター

著者:梯久美子
明治から平成までの日本人の恋文を集めたノンフィクション。近現代史を生きた人々の恋する姿と、背景にある時代が見えてくる。
散文の恋文と言うのは、生々しくて恥ずかしいものだ。直接的な感情がいかにもプライベートな感じで表出されていて。
斉藤茂吉、石原裕次郎、そして元首相の橋本龍太郎氏のはほとんど「アホみたい」。まあ、恋というのはそういうものか。
そして、男性の方がなんていうか、普段と恋文での人格のギャップが大きいかもしれない。
女の人のものは、そんなに落差を感じない気がする。
和歌で思いを綴るものも載っていたけれど(こちらは主に皇族)人に見せる意識がある分、第三者にとっては美しく恥ずかしくない。
川端康成が手紙をよこさない妻に催促をしている手紙が傑作だった。文句百。罵倒の連打。
紙に残ることを考えなかったんだろうか。
恋には必ず終わりがあって、終わってみれば、なーーんであんなにスキだったんだろう?って、恋心がどこかに消えてしまう。
だから、もらったラブレターを後生大事にとっておく心情、しかもそれを人に見せる心情が理解できない…。(とくに、アホみたいなやつは)
自分がこーんなに愛された価値ある人間だということを、何度もかみしめるためにラブレターをとっておいたりするんだろうか。だから、そんな気持ちは一時的なもんなんだって!
私は恋文捨てる派です!整理整頓は苦手だけれど、捨てるの大好き!

パスタマシーンの幽霊  川上弘美

パスタマシーンの幽霊

作者:川上弘美
雑誌「クウネル」に連載されていた22編の短編集。
人間の10分の1の大きさの村の助役補佐山口さんに恋する32歳の誠子とか、人生のふしめにしっぽをみてしまう女の子の話とか、シュールな中にもとぼけた味わいとユーモアを感じさせる小説ばかり。
でも、人生にはどうにもならないことがあるよね、うまくいかなくて当たり前だよね、という諦観みたいなものも随所に感じられる。
毒もアクもあるけれど、この人の筆にかかると浄化される感じ。
人間同士がわかりあえるようでわかりあえない、でも、なるべく思いやるしかないよね、分かり合えそうにない人とも一すじの糸みたいなものはつながっているよね、と思わせられる短編集でした。
関係ないけれど、総理大臣が辞めたそうで。でもネクタイは金色。
谷亮子(ヤワラちゃん)の運命やいかに。谷さんが出馬するってニュースを聞いたとき、「ああ、故ナンシー関が谷さんの出馬をずーーーっと前に予想してたなあ」と思った。
週刊誌の見出しで「ナンシー関はヤワラちゃんの出馬を15年前に予想していた」とあって、やっぱり彼女は慧眼だったなあ、惜しい人が早世したものだと思った。
ナンシー関の著作は文庫は全部持ってて、時々読み返す。本当に、長生きしてほしかった。

聴き上手 なぜあの人には話したくなるのか

聴き上手

著者:永崎一則
「話し上手は聴き上手」。このことばを知ったのは子どもの頃。母が購読していた「家の光」の別冊付録か何かに載っていた。
この教訓は私の心に深く刻まれたものの、その後の人生で実践できているかは…疑問。
この本では、人間的に成長する人とは、話を聴く力のある人だとしている。
人の話をよく聴くとどんなにいいことがあるかを前半で具体例を多く挙げて述べ、後半では聞き上手になるためのテクニックがかなり実践的に書かれている。(相槌のバリエーションとか)
特に目からウロコ、というところはなかったけれど、気をつけようと思ったのは「先入観を捨てて無心に聴く」ということ。
相手の程度を推し量って適当に聞くことが私にもあるかも。もったいないことだろう。
人はお互いに声を出し合うことで心理的な連帯感を強めているとか。家族以外と話さないこのごろだけれど、せめて家族の話をしっかり聞こう。子どもは「アーウー」しか言わないが。
赤ん坊を連れて散歩していると、中高年の女性から話しかけられることが多い。この間も近所の(名前は知らない)おばあさんに話しかけられた。この本を読んだ後だったので、立ち話で
おばあさんの出産物語第一章、第二章ぐらいまで聴いてしまった。
聴き上手だったかな?
私がいろんなことを話したくなる人は、心の広そうな人、笑ってくれる人。笑わせたい方なので、何を話しても笑わない人はコワイ。

存在の美しい哀しみ 小池真理子

存在の美しい哀しみ

作者:小池真理子
がんで亡くなった後藤奈緒子という女性と、彼女にかかわりのある人々を主人公にした連作小説集。
奈緒子は最初の結婚をしたときに産んだ息子を夫の下におき、後藤と結婚した。
自分に異母兄がいると聞かされた娘の榛名は、母の死後ひそかに兄をたずねてプラハに行く…などなど。
小池真理子氏らしく、恋愛関係はかなりシビアでドロドロしたものであるにもかかわらず、プラハやウィーン、東京の街の風景のなかで美しく描かれる。
作者自身が美人だからか、小池作品の主人公たちはたいてい容貌のよさげな人が出てくるような気がする。
洗練されているのも、「東京出身」というところに要因があるのだろうか。
容貌に恵まれているかそうでないか、都会育ちか田舎モノか、女性作家の作風はそれでずいぶん変わってくると思う。
江國香織氏も東京出身でまずまず美人。彼女の小説も泥臭くないないもんなあ。
さて、58歳になるアラ還の作者、ゆくゆくは老人同士の美しすぎる恋愛を是非書いてほしい。