2009年 小説ベストテン!

今日は大晦日。豆大福が2009年に読んだ小説のベストテンを発表します。
といっても、順不同。良かった10冊です。お正月休み、今年は短そうだけれど、読んでみてはいかがでしょう?
八日目の蝉  角田光代

最近の角田光代は好きだけれど、その中でもとくに良い。最後の場面でウルウル。
居酒屋  エミール・ゾラ
新潮文庫で読みました。フランスの庶民階級の生活ぶりが分かって、しかもストーリーにもハラハラドキドキ。期待以上に面白かった作品です。
ばかもの  絲山秋子

喪失と再生の物語。悲惨な話だけれど、人間を信じられる。
わたしを離さないで  カズオ・イシグロ

小説の発想も、メッセージもすばらしい作品。忘れられない一冊になった。
幻影の書  ポール・オースター

今年読んだオースター作品のなかではこれが一番。罪を償うとはどういうことか、考えさせられる作品。
ポケットの中のレワニワ  伊井直行

村上春樹『1Q84』にテーマが似てる気がするけれど、私としてはこっちの方が完成度が高い気がする。売れ方の違いが気の毒なほど。『1Q84』が面白かったという人には是非こっちも読んで欲しい。
絶望ノート  歌野晶午

ミステリ?の中では今年一番!ご飯を食べるのも忘れて読めた作品です。
ヘヴン  川上未映子

これも『絶望ノート』と同様、いじめを題材にした小説。よかったです。
犬身 松浦理英子

人間が犬になるというシュールな設定。本来、私はシュールすぎるものは苦手だけれど、これは抵抗なく読めた。人間の邪悪さをあぶりだし、かつ暗い気持ちになりすぎない作品。
巡礼  橋本治

ゴミ屋敷の住人の半生を描いた作品。悲惨なんだけれど、最後に救いがあってよかった。
橋本治氏ならではの、(といってもあんまり読んでないけれど)弱者に愛情のあるまなざしを注いだ作品。
2009年は、私にとってこれまでの人生で最も本がたくさん読めた一年だった。
一年の読書を振り返ってみると、面白くて良き小説に出会うのはけっこう難しいことがわかる。最後まで読んでも肩透かしをくらったり、ありきたりだったり。
また、来年も素敵な作品に出会えますように。

教室へ  フランソワ・ベドゴー

教室へ

作者:フランソワ・ベドゴー
2008年カンヌ映画祭 パルム・ドール受賞映画原作小説、だとか。
映画は見ていない。
主人公はパリ市内の中学校で教師をしている。教えているのは国語(フランス語)
私語や反抗ばかりする生徒。学力格差。校内暴力。人種間の対立。問題だらけのこの中学校で、主人公は常に不機嫌でストレスを募らせている。
何かストーリーがあるのかと思えば、特にない。ただただ学校内での日常が綴られ、問題児の更生とか、生徒と教師の心の交流なんてものもない。
作者は実際教師をしていて、壊滅的状況にあるフランスの教育の現状を世間に知らしめようとこの小説を書いたらしい。
舞台になっている学校は移民の多い区にあるという。そのため、中学校の国語の授業といっても、フランス語の基礎の授業という感じ。
私もちょっとフランス語をかじった。(7月に仏検3級合格しました。ヘヘ)主人公が文法の説明をするんだけれど、その説明が「そんなこともわかんないの?」というレベル。
これでは教える方もイライラするだろう。
まあ、日本の中学生でも、文法のおかしい文を書く子はいるけれどさ…
移民の存在。日本でも外国人は増えているし、日本語を母語としない児童生徒と一緒に公立学校で教えることの問題点、困難はもっと出てくるだろうと思う。他人事じゃあない。
もちろん、移民でなくても、親の収入とか環境によって「学力格差」が広がりすぎることは大問題だと思う。
さて、この一見平板な小説が、どんな風に映画になるものか、ちょっと見てみたい気がする。

初夜 イアン・マキューアン

初夜

作者:イアン・マキューアン
ブッカー賞作家、イアン・マキューアンの最新作。
へんてこな小説だった。異色の恋愛小説。
歴史学者を目指すエドワードと若きバイオリニストのフローレンスは、結婚式をつつがなく終え、風光明媚なチェジル・ビーチ沿いのホテルにチェックインする。
初夜の興奮と歓喜。そしてこみ上げる不安。二人の運命を決定的に変えた一夜の一部始終を、こまかーい描写で描く。(特にエッチというわけではない)
合間に、二人の成育歴、出会いがはさまれ、初夜における二人の心理描写も交互に描かれる。
性の解放が叫ばれる前の1960年代初めのイギリスが舞台で、二人はまだベッドをともにしたことがない。
エドワードは、早くフローレンスとひとつになりたい!という強い欲望があり、フローレンスの方は「そういうこと」になんともいえない嫌悪感を持っていて、気分が憂鬱。
まあ、よくある話というか、男女の性欲の違いということでいえば普遍的ですね。
昔の職場のおじさんが「『死体』と『遺体』の違いわかる?男は『したい』で女は『いたい』ヘヘヘッ」とか言ってたけれど…
この小説は悲劇といえば悲劇、見方によっては喜劇的な結末を迎える。
面白かったかと聞かれると、ウーーーン。小説の試みとしてはユニークな感じだけれど…
男と女。互いに成熟していない(自分のことしか考えない)と、傷つけあうもんだなあと思わせられる小説でした。

文学の門  荒川洋治

文学の門

著者:荒川洋治
詩人の荒川洋治氏のエッセイ集。荒川氏は、朝のラジオで週一回お話している。最近は聞いてないけれど、なかなか面白い話をする人なので、エッセイもおもしろいだろうと期待した。
文学。実学からは程遠い、「やって何の役に立つの?」と思われる学問だ。でも荒川氏は「実学としての文学」「実学としての読書」の可能性をまっすぐに信じている。
以下引用。
《人間の精神を育て、人間のために力をふるう文学は、実学なのだ。》
《本を読まなくなるということは、他人が意識のなかから消えたためだ。小さいときから大事にされ、自分は重要な人だと思ってしまう。自分に体験のないことや、はるか遠い出来事が本のなかに書かれていれば、関係がないと思ってしまう。しかしどんな遠いことがらでも、本を読んでいくと、ことばや語りの姿勢をとおして、興味を感じるようになる。そこからその人は、おおきく開かれていく》
珍しい言説ではないけれど、本を読まない人が増えるのはやっぱり悲しいと改めて思う。
私のように本ばかり読んでその他のことはおろそか、というのも考えものだけれど…
歌(和歌)の分野に関しても、昔の歌をよまない現代の歌人に危惧を覚える筆者。
かつて書かれたものを丁寧に読み返し、素直に感動し、新しい発見をすることで自分の精神を改めていく荒川氏。
作者に対する素直な尊敬とつきない好奇心。私もこんな気持ちを持って読書できたらいいなあと思う。

掏摸(スリ)  中村文則

掏摸

作者:中村文則
芥川賞作家の中村文則氏の最新作。新聞などでけっこう褒められていたので期待して読む。
主人公は東京を仕事場にする天才スリ師。彼のターゲットはわかりやすい裕福者たち。
ある日、彼は「最悪」の男と再会する。男の名は木崎―かつて一度だけ、仕事を共にしたことのある、闇社会に生きる男。木崎はある仕事を依頼してきた。「これから三つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前を殺す。もし逃げれば…最近、お前が親しくしている子供を殺す」
その瞬間、木崎は彼にとって、絶対的な運命の支配者となる。主人公は仕事をやりおおせるのか?子どもの運命は?
母親に万引きを強要されている子どもと親しくなる主人公。この子どもも救いようがないし、主人公も「犯罪者」。でも、なぜか主人公の気持ちになってしまって、彼が「仕事」をするときの緊迫感、緊張感が伝わり「うまくやれよっ」と思ってしまう。これは力量だろう。
ただ、テーマはやはり「悪」と「どうしようもない運命」。犯罪に走らなければならない人生もあるのかもしれないと暗澹たる気持ちになる。
今朝の新聞に、刑務所から出てきた人の多くが再犯してしまう、と書いてあった。受け入れる場所がなければ、まあ、そうだろうなと思う。
しかし、「スリ」って、自分がされたら許せないけれど、時代劇とかでは「本当はいい奴」ってキャラが多いですね。
自分が犯罪をして刑務所に入ろうとすれば…「食い逃げ」ぐらいかなあー。さんざん食べて「お金ありましぇん」。そうなりたくないと思う年末です。

エンディング・ノート  桂美人 

エンディングノート

作者:桂美人
 
主人公の神尾良子は脚本家。デビュー作は映画になり話題となるも、その後は鳴かず飛ばずで、日々もがいていた。
ある日、良子のもとへ大学時代の後輩・水嶋から、文章講座の講師をしてほしいと依頼がくる。それは「エンディングノート」という死ぬ前に自分の気持ちを身内に正確に伝えたいという人々が集まる講座だった。
バイト感覚で軽く引き受けてしまった良子は自らの家族との不和もあって、この講座に不快な気分を催す。
だが、生前満足に会話も交わさなかった父親が急逝し、しかも彼がエンディングノートを遺していたことを知り、良子は家族や自分の過去ともう一度向きあおうとする…
この人の小説を読むのは初めて。今も専業作家ではなく、会社勤めをしているとか。
過去の家族との確執とか、つらい恋愛・別れとか、そういうものにいつまでも縛られていると前には進めませんよーというメッセージが強く感じられた小説だった。
ストーリーはなかなか面白かった。主人公の良子が美人でモテモテで、男に意地悪なところはちょっとヤーだったけれどね。
エンディングノート。身内に自分の気持ちを伝えておく、か。んー、今のところそんなもの書く必要ないし、身内のエンディングノートも読みたくない気がする。
今すぐには死なない自信があるわけじゃないけれど。
明日ありと思ふ心のあだ桜夜半にあらしの吹かぬものかは(親鸞)

ウィーン家族 中島義道

ウィーン家族

作者:中島義道
哲学者の中島義道氏。今年大学を辞めて、「作家」という肩書きになっている。
これは中島氏、初の「私小説」だとか。
自己愛が強く、絶望的に妻を愛せない大学教授の夫康司。妻の多喜子がケガをしたときの対応が冷たかったからか、夫を執拗に責めたてるようになる。
一人息子の博司も徹底的に康司を嫌い、研究留学の地ウィーンの自宅から出て行かざるを得なくなり、一人ホテルで暮らす。
康司と多喜子のやりとりは主にファックス。康司は「大丈夫か?」の一言がいえないタイプ。ウィーンで入手困難な舞台やコンサートのチケットを取り、家族を喜ばそうと試みるものの、
多喜子はそれを拒絶し、ただひたすら「優しく」「愛して」くれることを要求する。
いやー、壮絶な夫婦喧嘩の記録、という感じだった。中島氏の著作はちょこちょこ読んでいるので、奥さんと仲良くないときがあることは知っていたけれど…
夫婦のことは、夫婦にしかわからない。なんでこの二人が別れずに一緒に居るのかが不思議と思う人もいるかも。
前に読んだ江原啓之の本に「結婚というのは学びの場。相手はあなたに足りない部分を教えてくれる人」とあったけれども、そういうことなんでしょうか。まさに修行…
お前を(お前の求めるようには)愛せない、とはっきり表明する康司。康司を受け入れるかに見せかけて、息子をダシに夫を拒絶し続ける多喜子。
結婚生活というのは、それでもがんばって続けることに意義があるのかも…
悪妻は人を哲学者にする、と言ったのはだれだっけ?そんな言葉も思い出した。
舞台はウィーン。それぞれの孤独がより際立って感じられるシチュエーション。
深刻だけれども、一方ではよそのうちの夫婦ゲンカを見られてプッと噴きだしてしまうような、そんな小説でした。
今後の中島氏の作家活動に期待します。

わたしの蜻蛉日記  瀬戸内寂聴

わたしの蜻蛉日記

著者:瀬戸内寂聴
道綱母の『蜻蛉日記』。土佐日記に続く仮名日記で、女流日記文学の先駆。かの『源氏物語』にも影響を与えたという作品だ。
読んだことはあるけれども、なんと言うか、気が滅入る日記。自分の現状に満足せず、文句ばかり言って嘆き、友達にはなりたくないタイプの女性だ。
でも、でも、『蜻蛉』は面白い作品であることは間違いないと思う。本朝三美人と言われた筆者が仕事も恋愛もバリバリの藤原兼家に求婚され、結婚するものの一夫多妻制の下、嫉妬に苦しむ…という内容。
プライドが高く、教養もあるのに、嫉妬心だけはどうしようもできない女性のありようが面白い。
さて、この『わたしの蜻蛉日記』では、寂聴先生ならではの解釈で日記の全容に解説を加えている。作品の背景にある人間関係や事件などにも触れて。
共感できる部分も多かったけれど、新発見もあった。筆者が見る夢は明らかに「性夢」であり、深層心理に性的欲求不満があったことは明らか、とか。
私は、道綱母は道綱がかわいくて仕方なかったんだと思っていたけれど、寂聴先生は彼女は息子よりも夫、そして誰よりも自分を愛していたのだと解釈している。なるほどね。
蜻蛉日記を読むと、「こんなに鬱陶しい女、いくら美人でも夫が離れていくのもごもっとも」と思ってしまう。「嫉妬」は誰でもするけれども、やっぱりあからさまにするのは教養のなさを露呈するようでカッコわるい。
恋愛の反面教師として読むのがいいかも。
私としては「恋愛の達人」、和泉式部についても寂聴先生に書いてほしいなあ。
和泉式部は私の予想ではたいした美人ではないと思うけれども、和歌、言葉のセンスのよさで年下の男性を夢中させられる。
さて、この本、『蜻蛉日記』の作品の面白さを再発見させてくれます。

おやすみなさいおつきさま


おやすみなさいおつきさま
もうすぐクリスマス。プレゼントで悩むサンタさんたちも多いのでしょうね。
子どもの頃、目が覚めて枕元にクリスマスプレゼントがあった!ということは、低学年ぐらいまでにはあった気がする。あんまり内容を覚えていないけれど…
「えーーー?」とやや不満だったのは「ノート」。キキララのだったけどさ…
姉の方がゴージャスだった。マンドリンとか、クリスマスの朝、素敵な音楽で起こしてくれる目覚まし時計とか…(その時計、父サンタは張り込んだらしく、20年以上経っても壊れなかった。今も使ってるかも)
絵本が枕元にあったのは一回。保育園のころかな?『フランダースの犬』のアニメの絵本。火事がネロのせいにされるという悲惨なストーリー。アロアと引き裂かれるネロ。
絵本を買ってもらったという記憶は、それぐらいしかない。
さて、この『おやすみなさいおつきさま』クリスマスプレゼントにはおすすめの絵本です。
アメリカ大統領オバマ氏が「人生最初の一冊」として推薦。雅子妃の愛読書でもあったとか。
外国の絵本だからか?なんか絵のセンスがよい。かわいい。大人の方が心をゆさぶられるかも。
色使いとか、絵のディテイルなんかも可愛くて、思わず買っちゃった。
子どもの頃からいい絵・センスのある絵本を見てたら、審美眼は養われると思う。江國香織の
絵本を抱えて部屋のすみへ

を前に読んで、江國氏のセンスのルーツを知った気がした。これにも可愛い絵本がいっぱいです。

デンデラ  佐藤友哉

デンデラ

作者:佐藤友哉
 
『楢山節考』のように、70歳をすぎると子に背負われて「山」に捨てられる風習のある村があった。斎藤カユもその一人。山で「極楽往生」することを願っていた。
ところが行き着いたのは、五十人の老婆が、奇妙なコミュニティを形成する現在の姥捨て山「デンデラ」。
ある者は自分を捨てた村を恨み、ある者は生き永らえたことを喜び、ある者は穏やかな死を願う。
極楽往生を願っていたカユは、はじめはこのコミュニティのあり方に反発し、馴染めないでいるが、一匹の巨大羆の襲来により、デンデラは修羅場と化す。
老婆と羆の死闘。疫病(実は食傷)の流行。飢餓との戦い。老婆たちは生きることに執着し、自分たちの仲間を食い殺した羆をのろい、小熊を奪ってその肉を食らう…そして応酬…
『楢山節考』とは全く違い、老婆たちの強さ、村に対する恨み、生への執着が生々しい。
70歳で山に捨てられる人生…もしこんなことが現代に起こったならば、元気一杯の老人たちは黙ってはいないだろう。だけれども、口減らしと人口の維持のために最初に老人が捨てられるとすれば、悲しい世の中。何のためにこれまで生きてきたんだろうと思うに違いない。
斎藤カユは言う。「目標がほしい」。と。年をとるのはいいけれども、生きがいや目標がない人生は怖い。羆をたおす、とまではいかなくても、私も目標を死ぬまで持ちたいもんだ。
昨日テレビの「カンブリア宮殿」にスズキの社長が出ていた。79歳だというけれど、全く耄碌していなくて精力的で、常に上を目指していて驚いた。
老人を見くびってはいけませんね…
それとともに、1980年生まれの若い作者の才能にも脱帽しました。