新釈現代文
著者:高田瑞穂
ちくま学芸文庫から復刻版として出た受験現代文の参考書の古典とも言える書。
刊行は1959年(!)でも、それほど古さは感じられなかった。入試の形式は、さすがに今とは違うなあーと思ったけれども。
「現代文」という科目は、生きていくうえでとても重要な科目だと私は信じている。でも、高校の授業で、現代文の授業ほど受験と結びついていない科目はないだろうとも思う。
だから、勉強は必然的にあとまわし。現代文なんて生まれつきのセンスだよ、という声が受験生からもよく聞こえてくる。
この参考書は受験テクニックを教えてくれるものではない。あくまでも王道。論の展開を性格に「追跡」して論理を把握すること。これにこだわってそれぞれの入試問題に解説を加えている。
さらに、若者に対する啓蒙書の意味合いもある。ググっとくる言葉がたくさん。
「現代文とは、何等かの意味において、現代の必要に答えた表現のことです」
「(入試現代文が難解に思える人は)無理をして、自分の精神年齢を引き上げなくてはなりません」
「(不合理、不調和、不均衡を感じ取る人間精神の働きを)私は論理の感覚と名づけるのです。…われわれの生活の瞬間瞬間に本当に役立つものは、そういう感覚だけだからです」
などなど。
一人の独立した精神を持つ大人として成長するのに、現代文は大切なのよね、と改めて思わされる。
取り上げられた問題文も、なかなか論理的でいいものばかり。残念なのは、それぞれの著者がわからないこと。誰の文章か、気になる。
もうすぐセンターもせまってる、という受験生には不向きかもしれないけれど、高校二年生ぐらい、あと国語教育関係者にはオススメです。
月別: 2009年11月
ナナ エミール・ゾラ
ナナ
作者:エミール・ゾラ
この間読んだ『居酒屋』が物凄く面白かったので、これも読んでみた。『居酒屋』の主人公の娘がナナ。『居酒屋』でも、幼少の頃からグレていて家出を繰り返していたが、希代の悪女に成長してしまった。
生まれながらの美貌をもち、豊満な肉体をもった彼女は、全裸同然の姿で劇場の舞台に登場し、パリ社交界にセンセーショナルな評判を巻き起こす。
淫蕩なナナ。金持ちの男を捕まえてはとっかえひっかえ。ナナを慕ってくる純情な少年もつまみ食い。
くそまじめな伯爵を誘惑し、財産を巻き上げる。とまあ悪女ぶりは全開。
でも惚れた男には弱く、DVに耐えて男にご馳走を出すために街角に立ったり…
この小説は『居酒屋』とは違って、社交界の人々も多く、伯爵とか公爵とか、いったい何をして生活してるんだか、という人ばかり。登場人物が多くて読むのに苦労した。
労働者階級を描いた『居酒屋』の方が、私にとっては人々が生き生きと感じられて面白かったかも。
主人公のナナは悪女だけれど、同時に愚かな女。これも母の弱さと、父のズルさを「遺伝」として受けついでいるのか。そして母と愛人がひそかに通じる様子を見ていて、性道徳というものが欠けた女に育ってしまったのか。
「遺伝と環境と時代」が人の人生を決めると言っていたというエミール・ゾラ。人間観察は確かに冷徹。
近頃サギ女と謎の死がニュースによく出るけれど、美人でもなく若くもない彼女たち。男全般に対する憎しみが物凄く強くなるような、そんな人生を送ってきたのかしら?やっぱり父親との関係は悪かったのか?人の心はわからないけれど…
レンタルお姉さん物語 比古地朔弥
レンタルお姉さん物語
著者:比古地朔弥 取材協力:NPO法人ニュースタート事務局
マンガ本です。
「レンタルお姉さん」ちょっとエッチな響きに聞こえるかもしれないが、いやいや、真面目で大変な仕事。ひきこもりの青年を社会とつなげるために、家庭訪問をしたり、外へ連れ出したりする仕事だ。
ひきこもり・・・全然珍しい話じゃない。皆さんの近所、親戚、知り合いにも、一人ぐらいはひきこもっている人がいませんか?
親の庇護でいつまでも生きられるわけじゃなし、健康な若者が働きも勉強もせずに親の家にこもっているのは、社会的損失だろう。
原因はいろいろとあるんだろうけれど、「親」の問題が一番大きいと思う。何でも買い与える、過剰に期待しすぎる・・・これはひきこもり青年を作りそう。
あと、ほとんどのひきこもり青年が家事が出来ないらしい。子どもをひきこもりにしたくなかったら、家事を一通りできるように訓練しておかなくてはと思う。
このNPOでは、寮を準備し、家から出られるようになったら寮生活を進め、自分のことを自分で出来るようにさせ、就労の応援をするのだという。
しかし、「お姉さん」。ひきこもりは男性が多いけれども、そこにお姉さんが現れ、部屋に入ってきたり、いっしょにお出かけなんかして親身になってもらったら、恋愛感情を持ってしまってややこしいことになりはしないか。(もちろん、そうならないマニュアルはあるのだろうけれど)でもレンタルおじさん、レンタルおばさんではあまり効果がないのかな。
ひきこもりの青年たちは、本当は人とのつながりを強く求めている。人とかかわったり、人の役に立つことでこそ生きる意味や幸せを感じるのだと実感できたら、もう大丈夫みたい。
とにかく、子どもを育てる「さじ加減」は本当に難しいみたいですね。
ここに消えない会話がある 山崎ナオコーラ
ここに消えない会話がある
作者:山崎ナオコーラ
表題の中篇と、『ああ、懐かしの肌色クレヨン』という短編が収録されている。
相変わらず、地味な世界を繊細に描くナオコーラ氏。なんで表紙が食パンなのかというと、主人公の広田という青年が、職場に食パンを持っていって焼かずに食べる習慣があるからかしら。
私は食パンは必ずトーストしてから食べる。そんなことはどうでもいい。
さて、小説の舞台は新聞のラジオ・テレビ欄を配信する会社。(そんな会社があるとは知らなかった)20代半ばの若い社員&契約社員が多く、広田も、その周りの社員も安い給料でがんばって働いている。
これといった事件はない。恋愛も、ない。ただ淡々と過ぎていく日常。だけれども、何気ない会話の端々や、広田の視点を通した人間模様に、作者の深い人間洞察力が伺える。
広田の描き方も、もどかしいんだけれど何か深い背景を持った男だと思わせられる。
「悪貨は良貨を駆逐する」などの箴言を書いたポストイットをパソコンに20枚ほど貼り付ける変な癖もおもしろい。私も、格言好きですよ。
もやもやっとした気持ちを言葉にすること、それに腐心する作者の真摯な姿勢がうかがえた。
もうひとつの『ああ、懐かしの肌色クレヨン』ひとつの失恋物語。不器用すぎる主人公が悲しい。片思いで撃沈する…よくある風景。私もそんなことがあった。若いときはどんどん傷つけ!がんばれ!と応援したくなった。
暴走族だった僕が大統領シェフになるまで 山本秀正
暴走族だった僕が大統領シェフになるまで
著者:山本秀正
題名が面白そうだったので読んでみた。著者は28歳の若さでワシントンの「リッツ・カールトンホテル」のエグゼクティブディレクターとして大統領就任パーティーの料理を指揮。その後も有名ホテルで料理長をし、「マンダリンオリエンタルホテル東京」の初代総料理長に就任。
今はレストランなどのプロデュースに携わっているという。
題名からして『不良少女と呼ばれて』(byいとうまいこ)みたいな、不幸な家庭の境遇、暴走族から抜け出る苦難の道・・・などを想像していたのだけれど、ぜんぜん違う。
この人は「ボンボン」だ。お父様は投資家で金持ち、小さい頃から美味しいものを食べ、バイクが好きで暴走族になったとか。岩城コウイチや舘ひろしとも交友があったり。
その後はサーファーになって、大学は三日で辞め、父の勧めの通りに料理人になったという素直さ。
イタリアやフランスで修業しているけれど、それも父の金。イタリア修業に至っては無料の学校なのに父から入学金250万をせしめ、ベンツを買っている。トホホ。
苦労や挫折を語りたくない人なんだろう。(離婚のときは大変だったみたいだけれど)しかし、あまりに順風満帆。人脈、資金に恵まれている。
頭もセンスもよいんだろうな。しかし、数々のレストランを成功させた裏には、ものすごい努力があったんだと思う。ボンボンで甘やかされて不良になっても、覚せい剤なんか打たずに立派になる人はいるのだ。
本に登場する繊細かつ印象的な料理の数々は本当に美味しそう。1万円以上するディナーなど縁がないけれど、さぞ贅沢な気分になるんでしょうな。
今まで食べて美味しかったホテル飯は、「ウェンスティンホテル大阪」のランチ。(3000円ぐらいだったかなあ)なぜか予約なしで入れて、ガラガラだったけれど実に美味しかった。
デザートがワゴンで運ばれてきて「好きなものを好きなだけ」といわれて興奮し「ちょっとずつ全部持ってきてください」と言ったら本当にちょっとずつ全部出てきた。幸福・・・さぞ田舎者と思われたでしょうね。
居酒屋 エミール・ゾラ
居酒屋改版
作者:エミール・ゾラ
フランス自然主義作家、ゾラの小説。自然主義だもんね、きっとハピーエンドにはならないだろうと予想しながら読んだ。やっぱり…
主人公のジェルヴェーズは洗濯女(つまり、今でいうクリーニング屋)。二人の子供と、帽子屋のランチエと暮らしているが、ある日ランチエに捨てられる。
必死に働き子供を育てるジェルヴェーズ。ブリキ職人のクーポーに熱心に求愛され、結婚する。二人で必死に働き、夢であった自分の店も持つことができた主人公。ささやかながら幸せに暮らす日々…
と思ってたら、クーポーは大怪我をきっかけに呑み助、怠け者になり、昔の男、ランチエが家にやってきてクーポーと意気投合してなぜか同居し始めるし、ランチエにも再び関係を求められるし、
クーポーもランチエもジェルヴェーズの稼ぎで飲んだくれるし、ジェルヴェーズも堕落して店を手放すし、娘は家出して淫売みたくなっちゃうし…
すべてが堕落の一途をたどっていく。「だめだって、ジェルヴェーズ!」といらいらハラハラしながら、ページを捲る手が止められなかった。
19世紀のパリの下層階級の悲惨な人間模様。でも、そこに描かれる風俗、人々のささやかなあ幸せのあり方などの描写は非常に興味深い。
「遺伝と環境と時代」が人間を作るという信念のもとに小説を書いたというゾラ。この自然主義文学に影響を受けて、日本の自然主義文学が生まれたというけれど…藤村、花袋の作品はここまでの面白さに到達していないような。(藤村の『破戒』は素晴らしいと思うけれど)
続編『ナナ』も読んでみたくなった。
新潮文庫ではゾラの作品は二つしかないのは残念。
出社が楽しい経済学 吉本佳生
出社が楽しい経済学
著者:吉本佳生
NHKの番組の本らしい。テレビは見たことがないけれど、本はとっても面白かった。
私は経済に関しては全く疎く、学ぶ必要性もなく、出社もしないけれど、実に役立つ本。
「サンクコスト」「機会費用」「比較優位」「インセンティブ」「逆選択」「ネットワーク外部性」などなどの経済用語を、たとえ話を用いて実にわかりやすく教えてくれる。
サンクコスト…撤収しても回収できないコスト。ランチバイキングでいつも調子が悪くなるくらい食べてしまう私。サンクコストだと思って無駄に食べないでおこう。
機会費用…空いている時間を有効に使おう。
比較優位…苦手なことを無理にやるより、得意を生かした方が経済的!
逆選択…これを避けて、いいモノ、いい人と思わせるには、品質のシグナルを発するべき。学歴、見た目、保証などなど。
インセンティブ…人をやる気にさせる誘因のことだけれど、うまく使えば非常にコストパフォーマンスがいい。ただし、「安い」という誘因だけを用いるのは時に危険。加減が大事。
結局、経済も「人間」のすること。社会における人の性質をよく観察し、うまーく効率的に利用することが大事ってことね。
ビジネスマンでなくても、すべての生活者に役立つ本だと思います。
モーパッサン短編集 モーパッサン
モーパッサン短編集
作者:モーパッサン 山田登世子:編訳
フランスの自然主義作家、モーパッサン(1850-1893)の短編集。
『脂肪の塊』『女の一生』などの長編も有名だけれど、短編小説の名手としても知られ、
300篇近くを残しているという。
ちくま文庫のモーパッサン短編集には、20篇の短編が収録されている。
どこで読んだのか覚えていないけれど「首飾り」という有名な作品は「あ、これ知っている」と思った。公務員の妻がパーティーに誘われ、無理してドレスを買い、つける宝石がないので知り合いの婦人に借りる。
その夜、さんざん虚栄心を満たしたものの、首飾りをなくしてしまう。似たものを探し、大金を出して買い、借金で苦労する日々。数年後に貸し主に告白したところ「あれは贋物だったのよオホホ」というオチ。ね、どこかで聞いたような話でしょう?
他にも、人間の弱さ、悲しさ、汚さをわかりやすい筋に凝縮している話がたくさん。
古いな、とも思うけれども、やっぱり古典というのは文学の「基礎」だとも思う。
仏検受かってから(3級だけど)ちっともフランス語に触れていないけれども、短い話ばかりなので、フランス語読解の練習にはモーパッサンの短編、いいかもしれないなと思った。
僕らが旅に出る理由 唯野未歩子
僕らが旅にでる理由
作者:唯野未歩子
なんか・・・すっきりしない小説だった。
主人公の衿子は歯科大に通う21歳。家も歯科医院だ。彼女は「曜日ごと」のボーイフレンドがいるが、自分のことが好きになれず、主体性がない。
ある日、患者としてやってきた「ラーさん」という40歳の男性と知り合い、なぜか旅に出ることにする。有給休暇をとったラーさんが旅費を持ち、国内の旅。
ラーさんは見た目は涼やかなイケメンだけれど、日本語がどこかおかしく、そして衿子に手を出そうともしない。
旅先で「パルコ」という30代の女性と知り合い、彼女の車「ミラ子」とともに3人で旅をすることになる。
パルコはラーさんを愛し始め、でもラーさんは頑な。衿子は9歳の頃に心が戻って・・・
でも最後はなんか知らないけれど、パルコはラーさんとくっつき、衿子も歯科大に戻る。
いわゆる「ロードムービー」みたいな話なんだけれど、ちっとも感情移入できなかった。
衿子の抱えるトラウマも、パルコとラーさんが互いに愛情を持つ理由も、さっぱり理解できない。
編集者に追い立てられて無理矢理書いた小説、という感がぬぐえず。(生意気でごめんなさい)
ロードムービー自体は好きなんだけれどな。邦画なら『幸福の黄色いハンカチ』とか『転々』とか。洋画、最近では『リトル・ミス・サンシャイン』とかいろいろ。
ロード小説、面白くするのはけっこう難しいのかも。
太陽を曳く馬 高村薫
太陽を曳く馬(上)
太陽を曳く馬(下)
作者:高村薫
難しかった・・・一度読んだだけでは理解が難しい小説。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』よりも難解だったかもしれない。
ミステリのジャンルに入るのかしら。ある禅寺で持病のある修行中の青年がが交通事故で轢死する。両親は寺の監督の不行き届きを訴え、刑事告訴のために合田雄一郎(『レディ・ジョーカー』にも出ていた)が寺を調べる。
その寺にかつて居た僧侶の福澤彰之の息子、福澤秋道は二人の人間を殺して死刑になっている。
秋道が二人の人間を殺したのはなぜか?
交通事故で死んだ末永和哉、その死の責任は誰にあるのか?
現代芸術・・・アスペルガー症候群・・・宗教・・・哲学・・・オウム真理教の総括・・・伝統宗教の矛盾・・・さまざまな要素が入っていて、実に形而上学的。
引用されている思想も、道元、龍樹、カント、ラカン・・・難しい。
僧侶の福澤彰之が興味深い人物なんだけれど、この人は、『晴子情歌』という作品でも出てくるらしい。まだ読んでいないので、これも読んでみようかな、と思う。
日常の言葉が通じない他者。これを排除し、自分の知っている範囲の世界に安住するか。それとも形而上の世界にまで入り込んで理解不能な何かを理解する過程を繰り返すか。
後者の世界が好きな人にはオススメです。