金魚生活 楊逸

中国人で、芥川賞作家の楊逸の第三弾。陳腐な感想だけど、日本語を母語としないのにこの筆力には感心した。
主人公は王玲。五十過ぎの、でも美貌の未亡人。頼りにしていた夫を事故で亡くし、レストランで働き、金魚の世話をさせられている。
一人娘は日本で中国人と結婚し、今は身重。その娘にも知らせていないが、夫の友人で(頼りない)周彬とこっそり同棲している。周彬は一途に王玲を想ってくれているけれど、なんとなく人には言えなくて。
娘のお産を手伝うために日本に行った王玲は生活の違いに驚き、(お金をそんなに使っていいの?)と思うたびに、シルクの財布をギュッと握りしめる。
中国でも、日本でも、心配事は一緒。人間関係や金銭問題で悩む。でも、中国から見た日本のありようも描かれ、自分の国、自分の感覚を相対化することができる。
楊逸の小説のよさは「純粋さ」と「運命のなかでどうやって自分の人生を選択するか」を丁寧に描いている点だと思う。
構成の仕方も上手い。もう少しハチャメチャなところがあってもいいと思うけど、「金魚」「財布」「漢詩」などのモチーフが生きている。最後の場面の盛り上げ方もいい。
高校生や大学生にもオススメです。

家庭の医学 レベッカ・ブラウン

原題は『Excerpts from a family medical Dictionary』。「家庭医学事典からの抜粋」。
母が癌に侵されていることが判明し、その治療や手術に立ちあい、母を介護し、亡くなった母を看取るまでを綴ったもの。
事実が淡々と述べられている。だんだん弱り、容貌が変わり果て、徐々に死んでいく母。
感情的にならずに描かれているが、母の変化や介護の描写が克明に、具体的に描かれていて、かえって心をゆさぶられた。
死に向かう母を「どうにかしてあげたい」という思いが行間から伝わってくる。
ノンフィクションらしいけれど、小説のように読んだ。事実を書くだけでもひどく文学的だと感じた。
人間にとって病気、死は避けられない。家族の死も、避けられない。今もあると思うけど、これから優れた「介護文学」が増えていくだろうな。
切ない作品だった。私も、わずらう家族を看る日が来るかもしれないけれど、何もできなくても「どうにかしてあげたい」という気持ちを持てる自分でありたい。

すてきな ひとりぼっち 谷川俊太郎詩集

生の谷川俊太郎氏を拝見する機会があった。永瀬清子(詩人)を顕彰する会で、谷川俊太郎氏と、アナウンサーの山根基世氏の対談・朗読を聞くことができた。
こんな田舎に有名な詩人が来るとは!とても感激だった。
永瀬清子のことを中心に対談は進んだ。彼女のことは詳しくなかったけれど、年輪を重ねた、生活経験を経た女性にしか書けない、(おそらく)大人だけにしかわからない詩を残していることを知った。「あけがたにくる人よ」という詩が、谷川氏、山根氏、そして、貴重な音源を持参してくださった谷川氏のおかげで永瀬清子氏本人の声で朗読され、胸にジーンと沁みるものがあった。
谷川氏は、この詩集のなかの「いるか」という詩を朗読してくれた。私はこの詩集の中では「まんじゅう」と、中学校の教科書でおなじみの「朝のリレー」が好き。
詩は、あんまり熱心に読まないけれど、良い詩に出会うととても幸運な気持ちになる。
大昔、「ズームイン朝!」で「朝の詩(ポエム)」というのを毎日やってたのを、誰か覚えていませんか?ああいうのが、また復活すれば、いい朝になるのかもしれない。
谷川俊太郎氏は77歳だということだが、とても元気でキラキラしてて、ユーモアのある、好ましい方だった。しばらくはいい余韻に浸ることができそうだ。

ベーコン 井上荒野

美味しそうな食べ物が題名になっている、短編集。
「アイリッシュ・シチュー」とか「ベーコン」とか「クリスマスのミートパイ」とか「大人のカツサンド」とか。洋物だけでなく「にこごり」「ほうとう」もある。
ああ、美味しそう。
でも、内容はほのぼのとしているわけではない。どの小説にも登場するのがちょっとした「裏切り」で、大人ならではの人間関係をとても巧みに描いていると思う。そして、食べ物が残すその人の記憶…
美味しい食べ物があれば救われたり、人と人とを結びつけたりすることがある。
そんなことが押し付けがましくなく描かれていてよかった。
「食べる」という行為は人間の本能だから、人間関係の複雑さを一瞬、単純化してしまう役割があると思う。一緒にごはんを食べるということは、仲良くなる上でとても重要。冠婚葬祭、デート、家族…。
食べ物の話は大好き!我が家の会話も食べ物の話(だけ)は盛り上がり、かみ合う。
思い出に残る食べ物もたくさんある。なぜか、不味いものも笑い話として残っているけど。
小学校のとき、友人の家でお母様が作った味噌汁が衝撃的にまずく、でもこらえて食べきったことを今でも覚えている。その時、「味噌汁の味は家々によって違う」ということを身を以って体験した。味覚が人によって違うことも。でも、その後外食などで食べる味噌汁は我が家のとはそんなに変わらず、やはりあの味噌汁はまずかったのだと思う。
友人はとても食の細い子だった。元気にしているかなあ。

ピカソ 描かれた恋

映画「モディリアーニ 真実の愛」は面白い映画だった。芸術と愛の悲劇。パリが舞台なのになぜかみんな英語を喋っているのがおかしかったけど。ピカソがすごく俗っぽい感じで出ていて、私のイメージとは違っていた。
ピカソの一連の作品を見ると、同じ人物が描いたとは思えないほど作風がバラエティに富んでいる。青の時代の作品に満ちている暗さと苦悩。前衛的なキュビズムの作品、優しいまなざしに満ちた写実的な作品。
この本では、主に肖像画と、そのモデル(恋人たち)とピカソとのかかわりを中心にそのときどきのいろいろな感情を解説している。
91歳の生涯を閉じるまで、多くの女性を愛し、描き、傷つけたピカソ。80歳で結婚するなんてやるぅと思うけど、ジャクリーヌとの結婚にまつわるエピソードは怖すぎる。人をどうやったら傷つけられるかを良く知っている。
かかわった人、二人自殺してるし。
人間的にはよろしくないかもしれないけど、天才はしかたがないのかな。
そのぐらいでないと、ピカソのように生前から商業的に成功できないのかもしれない。
絵がカラーでたくさん載ってて、読みやすい本です。
私は息子ポールを描いた絵が好き。

夏への扉 ハインライン

SF小説の傑作の誉れ高い作品なので、読んでみた。
1970年、主人公のダンは友人と婚約者に裏切られ、仕事を取り上げられ、発明も騙し取られてしまう。
失意のダンは冷凍睡眠保険というものによって、30年、歳をとらずに眠るという方法をとる。猫のピートといっしょに眠るはずだったが、離れ離れになってしまって…
目覚めたとき、2000年になった世界は彼の目にどう映るのか?彼は報復できるのか?
この小説が書かれたのも1970年代だけど、70年代から想像した2000年の描写も興味深い。実際とは、ちょっと、いやかなり、ずれているけど。
今から30年後を想像してみる…生きていると想像するけど、世界はどうなっているか?
想像力の乏しい私だけど、元気な老人が激増して「老人党」が絶大な力をもって幅をきかせ、若者と対立し、闘争が起こる、とか。一方で介護ロボットが完全に実用化され、反動として「ただ人と話す」という仕事が脚光を浴びたり。誰かが小説に書いてそう。
いずれにせよ、「本」が紙の媒体として残っていたらいいなと思う。

姜尚中の政治学入門

昨日に引き続き、姜尚中。
「ナントカ入門」という類の本で、その分野が分かった!というためしがない。
私の理解力がないことが一番問題なんだろうけど、どうも「知識」が頭の中を通り抜けていってしまう。
この本では、アメリカ・暴力・主権・憲法・戦後民主主義・歴史認識・東北アジア、という七つのキーワードについて解説することで、政治学のこれまでとこれからを述べている。
アーレントが、ホッブズが、ルソーが・・・というところは正直、頭の中を通り抜けていったが、日本の社会や政治の問題点に対する筆者の指摘には「おお」と思うところが多かった。
知識だけを覚えようとして本を読んでも心に残らないけど、筆者自身の見解が濃ければ心にひっかかってくる。
特に「あとがき」がすばらしかった。「あとがき」から読めばよかった!ほど。
どこかの大学の入試問題になりそうな文章だ。
政治家の人間のうすっぺらさがメディアを通してどうしても伝わってきて、もっとましな人はいないものかと考えるけど、やはり、歴史、政治学、これについては「議員センター試験」を設けて通った人だけが立候補できるようにしたほうがいいんじゃないか、と思わせられた。

悩む力

ベストセラーになっている本。筆者は東大大学院教授の姜尚中。ナイスでセクシーな中高年だ。声がいい…
「悩む力」にこそ生きる意味への意志が宿っているということを、夏目漱石とマックスウェーバーを手がかりに語っている。
ある意味、読書案内のような性質も持っていて、漱石を読み返したくなった。
まじめに悩み、まじめに他者に向かい合うところに突破口があるとのこと。
私自身、悩みはないわけではないけど、集中力がないので悩むにも疲れてしまう。すぐに人に頼ってしまう。(グチってすっきり、みたいな)
お金、労働、知、宗教、愛、死などについての悩み方のヒントがちりばめられていて、ちょっと元気が出てくる。
自我に悩むことについての記述はなるほど、と思った。自己チューといわれる人は自我の問題に悩まない。自我に悩む人は他者の問題にも悩むと。
私は自我の問題に悩むってことがあったかしら…自己チューなんだろうな、とうっすら反省。
終章の「老いて最強たれ」で、筆者自身の老後の夢を語っている。かなり笑える。が、実現しそうな気がする。実現するほうに100ペセタ。
2、3時間あれば読める本。同じ出版社の新書『姜尚中の政治学入門』はかなり読むのに疲れたけど、これはサラサラーっと気軽に読めた。

ロック母

角田光代の短編小説集。1992年から2007年までに雑誌に掲載されたものを、書かれた順に集めている。
あとがきで著者が述べているように、ずいぶんと時間差のある小説がまとめられていて、すごく不遜な言い方をすれば、角田光代の「成長の跡」みたいなものを感じることができる。
デビュー作が良くて、だんだんダメになっていく作家も多いけど、角田氏はどんどんうまくなって今はノリにノッてる感じ。初期の角田作品は「好きじゃないかも」と思っていたけど、今はとても好きな作家の一人だ。
旅ものが3編。家族ものが4編。やはり最近の作品が好み。
書名にもなっている「ロック母」(川端康成文学賞受賞作)と「父のボール」という作品がすばらしかった。親子の愛憎が見事に描かれている。
「ロック母」だけでも、立ち読みしてでも読んでいただきたい。実母を田舎に置いてきた人は、何かきっと感じるものがあると思う。

ファミリーポートレイト

直木賞作家、桜庭一樹の作品。桜庭氏の作品を読むのは初めて。
第一部は逃亡の記録。5才の駒子は、母のマコと一緒に逃亡生活を送っている。虐待のせいか、駒子は聞こえるが、話すことができない。成長するが「いないこと」になっているため学校にも行けず、駒子はひたすら本を読んで、母を慕い、生きている。
14歳になって父親に発見され、言葉も発するようになり、駒子はマコと離れて新しい生活になる。
第二部は駒子の成長の記録。大人になり、作家になる駒子。マコと離れても、駒子はマコに心の中で話しかけることをやめない。
でも、駒子の独自の人生も開かれていく兆しがはっきりと見えた。
母に支配され、母が世界のすべてだった時期は誰にもあると思う。それが少しずつ打ち破られて、人は成長していく。でも、十四まで母が世界のすべてだった駒子は、母の呪縛から逃れられない。「母の支配」というものの普遍性と、怖さをまた思い知った作品だった。
しかし、濃ーーーい小説だった。魂がこもっているというか。そんな作家の業を駒子の言葉をとおして作者も伝えてはいるけれど。
つるの恩返しのつるみたいに、自分の身を削って書いた、ということが伝わる力作だった。