この本との出会いは小学校の5年生だ。
ひどい風邪をひいてずっと寝ていなくてはならなかったとき、母が小さな駅の小さな本屋で買ってきてくれたのが、『斜陽』と『吾輩は猫である』だった。母は文学に詳しいというわけではないので、とりあえず何か有名な本を選んだのだと思う。小学生にこの二作品はどうかと思うけど、一応高学年から中学生向けの本で、沢山の注釈と、ときどき挿絵があった。でも原文のままだ。もちろん読めたものではない。特に『斜陽』は難しくて、すぐに挫折した。でも、最初のスウプの場面が面白く、姉と「お母様のスウプの飲み方」をスプーンをひらりと使って練習したものだ。立ったままおしっこする「お母様」にも衝撃をうけ、これも姉とウケまくっていた。
その後、高校性になって『人間失格』でシビれて、太宰に夢中になり、太宰熱は大学の最初の方まで続いたけれど、大人になりつつあった私は突然「甘ったれ」の太宰が厭になってしまい、読むのをやめ、嫁入り道具にも太宰の本は持ってこなかった。
でも、今回『斜陽』を読み返してみて、やっぱり彼は天才だと思う。敗戦後のあの時期に人々を熱狂させたというのもわかる。日本人がよりどころを失って空虚な気持ちでいたときに、その空虚、退廃、破滅を見事に描いている。
太宰は生誕100年で、今年ブームが仕掛けられるらしい。太宰のよさは「マッチョ」でないことだ、と私は思う。へなへなした自意識過剰の弱虫!が紡ぎだす美しい日本語。ちょっとブームに乗って、また太宰を読んでみよう。