不可能性の時代 大澤真幸

「社会学」というのはなんだか、とらえどころのない学問のように思える。勉強するのは面白そうだけど、それで?客観性は?どうやって社会に貢献するの?もちろん人文系の学問は全部そうなんだろうけど、比較的新しい分野だけに社会学というのはなんだか頼りないイメージがある。でも、今ある社会を客観的にとらえて現象を分析することは、庶民にとっては安心?の材料にもなるし、さまざまに役立つものなのだろう。
不可能性の時代
は、社会学の旗手、大澤真幸の著。
戦後の日本の社会を、理想の時代-虚構の時代-不可能性の時代 に分け、現代を「激しく暴力的で、地獄のような現実への欲望を持つ」という「不可能性の時代」ととらえている。
虚構の時代までは気軽に読めたが、不可能性の時代の説明は厄介で、寝転がっては読めなかった。
超越的な他者≒第三者の審級、というものが磨耗する中で、超越的な第三者を再構築しようとすればどのようなことがなされるか、といった内容。キーワードは「暴力」だ。
確かに、何がよくて何が悪いのかがわからない時代だ。政治家に人をひきつける魅力は薄いし、テレビもインターネットも気まぐれなメディアで私たちを戸惑わせる。家庭内でも、父親が家族に率先垂範するなんて姿は見られないのではないだろうか。
筆者は小規模で民主的な共同体が分立しつつ、他にもつながるルートも広がりうる民主主義に期待している。
ペシャワール会の実践、サリン被害者河野義行さんの行動で、敵対しあうものの間にもひかれうるものがある、そんな人間の可能性に触れていたが、そこのところをもっと具体的に教えてくれたら私のようなものにも分かりやすいんだけど…
憎むべき相手と「対話する」、よほどの教養と精神力がなければならないけれど、でもそこに人間の可能性はあると、私も思う。